2018年6月16日 本日の鹿児島県北西部は快晴・・暑い。

特にネタが思い浮かばないので、趣味である音楽についてちょっとだけ書いてみようと思います。

幼少期から小学校時代
この頃は、いわゆる歌謡曲が日常の娯楽でした。ザベストテンや8時だよ全員集合などで披露される歌手の楽曲が大好きでした。ピンクレディーやキャンディーズや郷ひろみや野口五郎やサザンオールスターズなど、ジャンルに囚われず、テレビで放送される楽曲は何でも聞きましたし好きでしたね。「およげたいやきくん」は私のテーマソングでもありました。

中学時代
この頃は、どういう訳か学校に一番乗りして、教室で歌うのが大好きでした。カラオケも無い時代でしたから、そういう意味では先端を走っていたのかも。この時代は、洋楽に目覚めた時代でした。カルチャークラブやチャカカーン、マイケルジャクソンやケニーロギンス、シンディローパーやマドンナ等々、特に、フットルースという映画を観てから本格的にハマった感じでした。メンアットワークというグループが好きで特に聞いた思い出があります。同時にアニソンも大好きでした。キャッツアイやうる星やつら、シティハンターなど、今でも有名な名作がそろい踏みの時代だったので、良い時代でしたね。タッチなんかもこの時代でした。

高校時代
この時に初めてバンドというものを組みました。私はドラムをしたり、コーラスをしたり、歌ったりという感じでしたが、バンド自体はロックのジャンルで主にボウイのコピーでした。同時に、久保田利伸というスーパーボーカリストに遭遇して、ソウルというジャンルも大好きになりました。高校の文化祭でmissingを歌って最優秀賞を貰ったのも良い思い出ですね。

大学時代
この頃は、プロのボーカリストになりたいなと思って、千葉を中心に色んなライブハウスで歌ったりドラムを叩いたりしてました。ただプロで活躍している人の才能に触れ続けていたので、私が演者としてプロになるのは難しいなとはかなり早い段階で気付いていました。それでも、そういう仕事の周辺に居たかったので、テレビ業界の仕事をしたり、スタジオの仕事をしたりしていました。

卒業してから
大学を卒業すると、美術製作の会社にアルバイトで入れて貰い、テレビドラマの制作などに関わっていましたが、そんな時に、運命の出会いをします。矢沢永吉さんです。後にも先にも連続ドラマの主演はそれっきりだった矢沢さんのドラマ「アリよさらば」の制作現場に居ました。そして、音楽室のセットで私がピアノを拭きあげていると、「いい仕事してるね」と矢沢さんが声を掛けてくれました。「ちょっとだけリハーサルしてもいい?」と言われたので、場所を譲ると、漫才コンビのボケと突っ込みの距離感の位置で、まるで私だけの為のコンサートが始まりました。「たぁ そう がぁ れぇ てぇ くぅ~」その一小節で私は、もう動けませんでした。そして、最期まで歌い上げると「ありがとう、邪魔してごめんね」と言って楽屋に戻って行かれました。そして、私は、歌手という存在の圧倒的な才能に触れて、「自分の道ではない」と実感したのでした。その経験がきっかけで、私はコンピュータの道を歩もうと決めたのです。それが、テレビ関係の仕事を辞めた理由でもあります。

現在
その後、糖尿病性なのか難聴を患い、ハイハットの音が聞こえなくなったので、バンドには参加しなくなりました。今でも、ギターは趣味程度に弾きますが、元々はギタリストでないのでそんなに上手ではありませんから、ライブをすることもありませんけど、自宅ではまぁそれなりに弾きまくっていたりします、生音ですけどね。好きなジャンルは、最近になって小田和正さんを聴き始めました。ここ最近は静かな感じの曲が好きなので、半崎美子さんなんかも好きですね。糖質制限を始めてから、少しずつリズムのエッジが取れてきている感じもするので、他人様に聞かせても良いという自信がついたらライブもまたやってみたいなと思う今日この頃です。


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糖尿病性足壊疽の切断を回避した証明写真(グロいです)

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