2018年6月14日 本日の鹿児島県北西部は曇り時々雨。

ニュースを見ていても可哀そうな事件が起きています。そんなニュースを見ていたらちょっと「死」というものについて書きたくなったので書いてみます。
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私と死
私自身が「人が死ぬ」という事実を初めて認識したのは、幼稚園の時の友人の事故死です。記憶にあるお葬式の中で最も古いものが、その友人のものです。棺に眠る友人の周りはオモチャと花で埋め尽くされ、周りの大人は皆泣いていました。その葬式の時点では恐らく理解はできていなかったのでしょうけど、幼稚園に来ないという現実に触れて急に寂しくなった事を覚えています。程なくして、父方の祖母が亡くなり、「人は死ぬ」という自然の摂理を確実に認識したと思います。

死について考えた日
小学校1年生から小学校3年生まで、鹿児島県の徳之島という島で過ごしました。この島の犬田布岬という場所に戦艦大和の慰霊碑が建立されていて、モニュメントも設置されているのですが、このモニュメントが怖くて仕方なかったんです。この場所に行くのは好きではなかったのですが、訪れる度に、死について考えされられ、「死んだらこんな怖いモニュメントにされてしまうのか」などと一人で震えていて、そんな経験からか、「死は怖いもの」と思う様になったと感じます。

オカルトとの出会い
小学校4年生から小学校6年生は鹿児島市内のマンモス校で過ごしましたが、学級文庫に誰が入れているのか ムー というオカルト雑誌が置いてあって、暇があれば読んでました。心霊写真とか怪談話とかムー大陸の話とかヒトラーは生きているとかUFOとかUMAとか。そういう空想の話が面白く、もちろん、心霊系は怖いながらも楽しんで読んでました。そういう情報を吸収する中で、死後の世界というものへの興味も育っていきました。また、この頃、母親が新興宗教に親戚の付き合いで入っていて、私も半ば強制的に入信されられたのですが、その教団施設に訪れたとある週末、当時、我が家で週末だけ預かっていた ゆうすけ君(当時2歳)が私達が見えない「おばあちゃん」と呼ぶ人とおしゃべりする様を見て、そういう世界はあるんだろうなぁと感じたのがこの時期でした。宗教には自然と疎遠になっていきましたが、その後も時々、ゆうすけ君の不思議な風景には遭遇しましたが、私が相手をみることは叶いませんでした。

思春期
思春期を迎えると、考察の世界は、宇宙規模になってきて、かなり色々な本も読みましたが、結局辿り着いたのは、「過去の偉大な哲学者達が考え尽くしても辿り着けなかった 人間の存在理由 を俺ごときに辿り着ける訳がない」という結論でした。それからは、普通に、普通の勉強を頑張りました。成績が割と良くなったので、学区外の公立の進学校を受験したのですが、上位の5%には入れず失敗。一年の高校浪人の後に鹿児島市内の私立高校へ進学しますが、この頃、母方の祖父が肝臓がんとの闘病の果てに他界。祖父は学校長や市会議員も務めた土地の偉い人だったので、葬式もかなりの規模でした。この時に感じたのは優しかった祖父が亡くなった寂しさと同時に「葬式ってなんぞや」という事でした。幼稚園の時の友人の葬式と比べてそう思ったのですが、結論としては、「葬式って祭りなんだな」という事でした。

高校時代
高校二年の冬に昭和天皇が亡くなり、平成となりました。昭和天皇の崩御に伴い、我が校の熱心な教師による昭和天皇の功績を振り返る授業がありました。色々と思うことはありましたが、これについては、深く書かないことにします。ともかく、日々誰かが必ず死んでいるのに、悲しんでくれる人の数は不公平なまでにバラバラです。それって何なんだろうと思う感覚は今現在でもあります。

大学時代~
それ以降から現在までは、ちょっとブログなどでは書けない様な「死」とも遭遇し、また、職業的にも多くの人の「死」に立ち会って来ました。そうした中で感じる事は、やはり、「生きていればこそ」という実感なのですが、じゃぁ「あの世的な世界」は否定するかと言ったら、むしろどんどん肯定へと傾いています。

あの世って何だ?
丹波哲郎が大霊界という映画を創った時、ワクワクして映画館に行った結果・・「なにこれ」ってなって、「そんな不自由な世界には行きたくないやい!」と思った訳ですが、今私が思うあの世のイメージというのは、一番単純に表現するなら、「氷と水と水蒸気の関係」に似ていると思っています。重要なのは意識が何によって構成されているかなのでしょうけど、現在の人類の知識はその解を導けません。私個人は、意識とは素粒子に備わる自由意志の集合だと思っています。その仮説が正しければ、死後は、宇宙空間の構成物として最小単位で存在することになります。素粒子の振る舞いというのは従来から語られる霊体というものの振る舞いに似ているのは最近気になっていて、どこから来た思想なのかを調べているのですが、今の所まだ答えに辿り着いていませんので、色々と古い本を読んでいる所です。

兎にも角にも

「死んだら無」という考え方には少し無理があると私は感じています。少なくとも火葬や分解された後は人体の構成物は素粒子単位で空気中やその他の分子中に存在する訳なので、何かしらの悪あがきが生じていても良いのではないでしょうか。もちろん、人間という塊とのコミュニケーションが難しくなることは確かな事なのでしょうけど、遥かに自由な世界がそこにあるように感じています。私が解離性大動脈瘤で死線を彷徨った時に、村田君が助けてくれたように、私個人はやはり、死後に何等かの期待は持っています。

雑感
皆さんは、やはり人は死んだら無だと思うでしょうか。確かに、そう思う方がこの現実を力いっぱい生きようと言う原動力にはなるのかもしれませんね。結論のない話題で申し訳ありませんが、人類が存在しているという在り得ない奇跡について、そして、今、これを読まれているあなたが存在しているというとんでもない奇跡について考察するきっかけになれたらと思います。存在が奇跡なら、思い描く理想の自分になることなど普通にできるはずだと思って私は今を生きています。「死ぬ」とは、この人類というシステムでの役割を卒業して、自由な世界へ戻ることだと思う。理不尽に見える死もそうであることを願います。

最後に
前述のように書いてくると「自死肯定論者」と誤解されるかもしれませんが、基本的には否定です。しかし、先日自死された西部邁氏のようなパターンは私の理想でもあります。「我が生涯に一片の悔いなし」とラオウのように言える場合には自死は許されると思っています。難しいしデリケートな問題でもありますが、苦しくて自死を選ぼうとしている人は、死ぬ前に10人の他人に助けを求めてみて下さい、何かが変わると思います。今の私にはその位しか言えませんが、人生を楽しくするも苦しくするも考え方次第です、ちょっとした思考の変化で人生は大きく変わりますよ。簡単には諦めないでください。



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糖尿病性足壊疽の切断を回避した証明写真(グロいです)

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