からの続きです。


合格通知を受け取り、暫くしてから入所式がありました。80名程と思われる受験者から合格したのは、私を含めて10名でした。人数に対して不釣り合いに広い教室に、意味も無く緊張したのを覚えています。


M先生
雇用能力開発機構の方や偉い人の挨拶が終わり、6カ月のメイン講師を担当されるM先生の挨拶が始まりました。開口一番「皆さんにはITのプロになって頂きます。授業に妥協は致しません。それができる方を選びました。全力でサポートしますのでついてきて下さいね。6カ月はあっという間ですから、気を引き締めて参りましょう。」と力強くおっしゃいました。熊本出身で体型は「くまもん」みたいな感じでゆるキャラぽさもあるのですが、目の奥に光るものを感じる熱い男でした。

授業
授業は最初から予想を裏切りました。私は、なんだかんだ言ってもワードやエクセルから入るのだろうと思っていたのですが、最初はLANケーブルの自作でした。その自作をキッカケに、パソコンを構成する機構的な知識の授業が展開され、二週目あたりでは、PCの自作という所まで発展して、希望者は実際に、自分が自宅で学習に使う為のPCを自作するという所まで行きました。私も欲しかったのですが、その時点では医療費等々でお金がかかり無理だったので他の受講生が造るミニタワー型のPCの自作を手伝ったりしました。知識だけでなく、実際に組み上げるという作業を通して、この時に初めてCPUやメモリやマザーボードや周辺機器の選択方法などの肝を理解しました。秋葉のショップでお勧め構成を鵜呑みにしていた自分から脱皮した授業でしたね。授業内容は概ね、そんな感じの濃い内容で進みました。ハード、ソフトウェア、セキュリティ、ネットワーク、トラブルシューティング、IT関連情報の収集方法、技術者コミュニティの知識、画像処理、VBAプログラミング等々、ありとあらゆるエッセンスが詰め込まれました。この授業展開は後に私がITインストラクタを生業とするようになった時の教科書となりました。

講師体験

濃い授業が3カ月を過ぎようとする頃、実際に、講師として授業を行うというミッションが発表されました。一か月後に鹿児島県の高山町という町で、高齢者向けのパソコン講座の講師を10人で3チームに分かれて二日づつ担当するというものでした。私は、ワードで年賀状を作成する(二日)というパートを受け持つことになり、二日分10時間の授業台本を悩みに悩んで書き上げました。それを何度も何度も読み返し、シミュレーションして迎えた本番はとっても緊張しましたが、人生の先輩達の優しさに包まれて、和やかな二日間を終えました。とっても素敵な体験でした。初日に泊ったビジネスホテルに隠しカメラが設置されていて、宿泊代をタダにさせたのも良い思い出です(笑 ともあれ、この講師体験があったから、「人にパソコンを教える仕事って楽しいかも」と思えたのです。人前に立つって緊張しますけどね。

資格取得
講座が残り僅かになる頃、初級システムアドミニストレータという国家資格の受験がありました。元々プログラマなので旧情報処理二種程度の知識はもっていたのですが、ブランクが長かったので、二種よりは少し軽めの初級シスアドを受験しました。M先生の学習協力もあって無事に合格して、12月を迎え、無事に卒業となりました。就職は決まってませんでしたが、どうにかなるさという感じで卒所式を終えて年を越しました。

卒業後
正月が明けて直ぐに、M先生から電話を頂き、訓練が行われたパソコンスクールで講師として働くことになりました。なんだか、人生って何がどうつながるのか本当にわからないものですね。そのパソコンスクールが鹿児島から撤退するまでの一年半はみっちりとパソコン講師としての実績を積みました。その経験をした後、某大手PCメーカーの営業となり、自分の会社を興し、社長となる日々が来ます。その話は、また今度に致しましょう。


****************************************************************************
当ブログは ↓ の内容を知って貰いたく書いております。

糖尿病性足壊疽の切断を回避した証明写真(グロいです)

お時間ありましたら読んで頂けるととても喜びます。
*****************************************************************************