糖尿病発覚
二週間の絶対安静と降圧治療によって、絶命の淵から蘇った後は、更に二週間程経過観察をしつつ、糖尿病も発覚した為に栄養指導なども受けました。


栄養指導

この時の栄養指導では、「砂糖はカロリーに計算しないので分量には気にしなくて大丈夫です」って習いましたよ・・・大丈夫ですか?今はそんなことないですよね?
特に、糖尿病患者に今でもこれをやってたら裁判で勝てないレベルですwでも、それが栄養学。
「普通のコーラはダメですけど、ダイエットコーラは大丈夫です。」って、論理矛盾に気付いていない所が思い込みの怖い所なんですよね。

ただ、この時点で糖質制限を指導して貰えたとして、私が糖質制限を実践できたかと問われると、多分できなかったはず。そこが誰にとっても難しいポイントなんだと思います。


退院の日に
そんな、4週間が過ぎて、人工血管に置き換えるには裂けた部分が長すぎるらしく、今後は通院で様子を見ましょうという事になり、退院の日を迎えました。

退院の日は、同僚の岩ちゃんが迎えに来てくれて、帰りがけにホームセンターで体重計と新しい血圧計を買い、しばらく分の食材の購入なども手伝ってくれたので、お礼にステーキをご馳走することに。

「ステーキ宮」の席につくと、店内のモニターでは、大阪府池田市の大阪教育大学附属池田小学校で発生した小学生無差別殺傷事件の臨時ニュースが流れていました。2001年6月8日の昼過ぎの事で、店内の客は皆、モニターにくぎ付けで、異様に静かでした。

「やっとかっと拾った命があると思えば、簡単に奪われてしまう命があるなんて、しかも、俺の退院の日に・・・なんか複雑だな」と私が言うと「だな!注文すんべ!」と岩ちゃんが言うので、「なんだよ薄情な奴だなぁ」と返すと「しかたあんめぇ大阪じゃ助けに行けねぇし!」と返されて、「まぁそりゃそうだな、食うか!」ってな具合だったのを覚えています。

家までの道すがら、バイク屋さんに寄って私の愛車GPZ400Rの査定の予約をして、その日の予定が全て終了。

自宅療養初日・・・物凄い寒気・・あれは何だったんだろう・・低血糖?わからない。


4日間の自宅療養を経て、6月11日に自治医大へ通院した後、その日から仕事に復帰しました。

この時点では、まだまだ栃木で働くつもりだったのですが・・・それから半月程の内に、社会的環境も変わって行きます・・・激動の2001は終わらない・・次号に続く。



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糖尿病性足壊疽の切断を回避した証明写真(グロいです)

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