解離性大動脈瘤発症直前まで
2001年5月6日。姪っ子達と本気で、全力で、力いっぱい、遊んであげる事の出来た最後の日。
当時 8歳と5歳だった姪っ子達も成人して、25歳と22歳になる・・・・時間が経ったんだなぁと実感する現実ですね。
さて、今日は、私が最初の人生の最後の日だったと思っている2001年5月7日の触りの部分と、とそこまでに過ごしたゴールデンウィークについて書いてみようと思います・・解離性大動脈瘤発症直前までのお話です。

発症前二年の状況

1999年6月~ 栃木県小山市にある某メーカーへの技術派遣社員として働き始めます。内容としては、社内独自システムでのユニット検査や通信デバイスのプロトタイプ製造などをやっていました。会社での健康診断では高血圧傾向は言われていましたが、糖尿病の疑いは言われませんでしたし、再検査についても高血圧のみ言われただけだったので、自宅の血圧計で測ると時々に高い程度だったので放置しました。

2000年に入り、年度末と年度初めの繁忙期を過ぎた初夏の頃から、腰痛に悩まされるようになります。
この腰痛はギックリ腰とは違う感覚だったなぁと後になって思いましたが、痛み耐性のある私が薬剤師に直接質問する位の痛みだったので、かなり痛かった事は間違いありません。「常に痛い訳ではなく、時々痛くなると、かなり痛い、けど、我慢できない程ではない」という感じで、病院には行かずに放置してました。不思議な事に、仕事中に痛みが出た記憶はないのですよね。(多分、この時から解離は始まっていたと思います)(この年の健康診断では高血圧と難聴について言われましたね)
決して体調そものもが良かった訳でも無いですが、2000年は海外旅行をしたり、スキーをしたり、キャンプをしたり、とアクティブに動いた年でした。
2001年になり、普通にスキーシーズンも終わり、仕事をこなし・・・そして運命のゴールデンウィークがやってきたのです。

直前の体調など
このゴールデンウィークは埼玉に住む、長兄家族と過ごしました。
義理の姉にしてみれば迷惑以外の何者でもないですけど、姪っ子達が可愛いのなんのって、そりゃぁもう溺愛してたなぁw毎月一回は会いに行ってましたねぇ。
理想の家族ってこういうのだなぁ・・と唯一思える家族です。

そんな大好きな家族と、2001年のゴールデンウィークは熱海で合流して、温泉を堪能してから、海沿いを3日程かけて流してくる感じの旅でした。
確か5/3 5/4 5/5 だったと思うのですが、記録がないので、ここは記憶だよりです。

初日も温泉を堪能し、美味しい食事を堪能し、日頃の疲れも吹き飛ぶ最高の一日でした。
(初日の温泉で長湯をした後で、心臓が飛び出るのではないかと思う位の動悸がしていたのですが、しばらく横になっていたらおさまったので、放置しました。)
二日目も兄の運転でドライブしながら海沿いの網元で食事を楽しんだり、観光を楽しんだりと有意義な時間でした。(この日の温泉はシャワーだけにしました)
三日目は鹿児島から次兄も遊びに来るという事で、宿泊ホテルから羽田を経由して観光を楽しみながら埼玉の長兄宅までのドライブという感じで帰ってきて、夜はゆっくりと語らいのひと時。
翌日は、昼頃には小山市に帰ろうと思っていたのですが、急遽、5/6に従兄弟も呼んでバーベキューしようという事になりました。

発症前日
5/6日曜日は朝早くに、長兄宅から大宮駅へ送ってもらい蒲田まで従兄弟を迎えに行き、東京駅から大宮までグリーン席で帰って来ました。
10時過ぎに大宮駅で再び長兄と合流し、そのままバーベキューのできる林間公園へと向かい、皆と合流。
長兄、次兄、私、義理姉、姪っ子1、姪っ子2、従兄弟1、従兄弟2、従姉妹1の9人の大所帯となって、とても楽しい一時でした。
もう、汗だくになって姪っ子達とも遊びました・・・楽しかったなぁ。
夕方となり、私は、翌日が仕事だったので、帰る事に・・・・大宮駅まで送ってもらい、従兄弟たちとも別れて、小山まで新幹線で帰って来ました。18:00頃でした。
同僚の岩ちゃんが、焼肉に行こうぜ!と誘いの電話をしてきたので、安楽亭へと行きました。
昼にも肉を食べているので普通の量で良かったのですが、岩ちゃんが食べ放題が良いというので、食べ放題にしました。(もしかしたらこれが解離の最終的トリガーだったかもしれませんw)
もう、これ以上無理~という感じまで岩ちゃんと競いながら夕食を終えて、帰途につきました。
「もう最高の休日だったなぁ~でも、ツーリング行かなかったなぁ、次の週末は秩父でも行こうかなぁ」と思いながら、テレビなどみながら、テントの装備点検などをしながら夜を過ごしておりました。これが、2001年5月6日(ほんと、最高としか言いようのない完璧な一日ですね)

発症当日へ
さて、いよいよ、最終日、5/7の幕が開きます。
次の日(5/7)は、夜勤シフトだったので、出勤は夜です。なので、調整の為に朝まで起きておこうと思い、深夜の0:00頃、近くのビデオ屋さんへと自転車で向かいました。そして、そのビデオ屋さんで体に異変が・・・・・5時間しか記憶のない2001年5月7日・・・地獄の苦しみの淵で見たものとは・・・  次号へつづく



雑感
今日の今日まで解離を発症したのは2000年だと思っていたのですが、記事を書くにあたり、当時の職の退職日などを精査していた所、2001年だったことが分かりましたので、全ての記事の日付けを訂正いたしました。長い年月の中で、キリの良い数字の方へと勘違いして行ったようですが・・・人の記憶とはあてにならないものですね。キチンと記録を残して行くことの大切さをまたまた学んだ節目の夜でした。



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糖尿病性足壊疽の切断を回避した証明写真(グロいです)

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