2022年4月6日 本日の鹿児島県北西部は快晴。
上海では大規模ロックダウンで外出できないのだとか・・地上波でこのニュース見ない気がします。世界的には共存路線に移行しつつある567問題ですが、中国は頑なにロックダウンを実行していますね・・・恐らくそれだけ恐れる何らかの情報を持っているからなのかもしれませんね。ともかく良い方に向かうことを願います。さて、水曜日なので哲学記事です。ルネサンス期も大詰めです、本日は宗教改革。
ルネサンス期のヨーロッパでは文化面でも芸術面でも、もうこれ以上ないのではないかと言う位の栄華を極めていました。その潮流の一端でもあるキリスト教もそういう流れの中で大金を稼いでいた一つのグループでした。ルネサンス末期の頃のキリスト教は主に免罪符(買えば罪が赦されるという札)の販売で利益を上げていたのですが、これについてはキリスト教のローマカトリック教会の中でも賛否の分かれている事でした。
当時のドイツでは特に免罪符の販売が積極的にされていて、それは、その当時のマインツ大司教であったアルブレヒトが私腹を肥やす為に「サンピエトロ大聖堂の建設資金への寄付金を獲得するため」という理屈をつけて、バチカンのお墨付きをもらった上で売りまくったからなのだそうです。
そんな状況の中で神学に勤しんできたルターには免罪符の及ぶ効果についての疑問が生まれ、その疑問点について「95箇条の論題」という形で教会側へ再考察を促しました。
その後、会議なども持たれましたがルターはカトリック教会から支持されず、カトリック教会との断絶が決定的となったこのころ、ルターの周囲には賛同者たちが集まり始めました。その中にはフィリップ・メランヒトンやマルティン・ブツァー、トマス・ミュンツァーなどの姿もあった。ルターは1520年にあいついで『ドイツ貴族に与える書』、『教会のバビロニア捕囚』、『キリスト者の自由』を発表し、『ドイツ貴族に与える書』では教会の聖職位階制度を否定し、『教会のバビロニア捕囚』では聖書に根拠のない秘跡や慣習を否定、『キリスト者の自由』では人間が制度や行いによってでなく信仰によってのみ義とされるという彼の持論が聖書を引用しながら主張されました。
その頃には、ドイツで始まって間もない活版印刷所に持ち込まれたドイツ語に翻訳された「95箇条の論題」が大量に刷られてドイツ国内に広く流布されました。その結果、ドイツの中部から南部にかけて、領主に搾取される一方だった農民が蜂起して「農民戦争」と呼ばれる内戦が1524年に勃発します。この戦争はルターの解釈が元になって起こった戦争で当初はルターも賛同していましたが、途中から手のひらを返して鎮圧の側に回って、徹底的に弾圧したので、反乱は収まって行きましたが、この地域でのルターの信用はがた落ちして、カトリックの支配する土地となりましたが、ルターの考え方とそれに賛同するルター派と呼ばれる派閥の活動は教会内で続き、カトリック教会の取り決めや発言に対して、ことある毎に抗議を行ったため、ルター派やその支持者を総じて「プロテスタント(抗議者)」と呼ぶようになりました。
プロテスタントの台頭によって、免罪符による商売のやりにくくなったカトリック教会は、活路を海外に求め、イエズス会を設立・・・いよいよ、大航海時代と奴隷と布教と植民地政策の激動の幕開けです。
今の時代はルターが引き起こしたと言っても過言ではない位の重要人物なのですが、日本では「あっ宗教改革の人ね」位にしか思われていませんし、彼の言動が後のナチスによるホロコーストの元凶であることなど殆どの人が知りません。免罪符という汚い儲け方を批判した一点を見れば良い人に取れますが、実際にはキリスト教に改宗することに失敗したユダヤ人を一方的に差別し、しまいにはユダヤ民族の存在を否定したルターという人物は歴史上稀に見る罪を犯した人物ともとれます。また、彼の宗教改革の結果として、キリスト教の闇の勢力の目は外へと向き、その後の数百年(今現在も含む)はこの流れの中で動いています・・・ウ●●●ナと●シアだってルターからの延長線上にあります。私達は、今一度、ルターの時点から世界の再考察を再検証を行って軌道修正した方が良いように思います。

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