2022年3月30日 本日の鹿児島県北西部は曇り。

ネットフリックス制作のワンピース・・・赤髪のシャンクスのキャストが発表されましたね。いよいよ、公開が近づいた感じがします。原作も1/4位しか読んでないのですが楽しみにしている作品の1つですので、ネットフリックスで始まる前に原作も読み進めたいなぁと思います。さて、休日の水曜なので、哲学記事を書いておきましょう。本日はミケランジェロ氏。

ミケランジェロ・ディ・ロドヴィーコ・ブオナローティ・シモーニ(伊: Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni)(1475年3月6日 - 1564年2月18日)は、イタリア盛期ルネサンス期の彫刻家、画家、建築家、詩人、社会活動家。西洋美術史上のあらゆる分野に、大きな影響を与えた芸術家で、本業と考えていた彫刻分野以外の作品は決して多くはないにもかかわらず、様々な分野で優れた芸術作品を残したその多才さから、レオナルド・ダ・ヴィンチと同じく、ルネサンス期の典型的な「万能人」と呼ばれます。

ダヴィンチがどちらかと言えば死後に高い評価を得たのに対して、ミケランジェロは存命の時から、その非凡な才能で有名で、作品も多く残っています。13歳でイタリアの画家に家出同然に弟子入りすると、直ぐにその才能をメディチ家に見出されて資金を全面的にサポートされることになります。14歳になるとプラトンアカデミーの一員となり、正に、キリスト教文化の原点回帰等といったルネサンスの潮流のど真ん中で青春をおくるとともに、彫刻や描画の技術は洗練され、20歳の頃には、今でも芸術の最高到達点とさえ言われる「サンピエトロ大聖堂のピエタ」と「ダビデ像」を完成しています・・・人体解剖の知見のあった彼だからこそ表現できる緻密な再現は凄まじいの一言に尽きます。この二つの彫刻以降は建築とフレスコ画のような建築絵画に縁が厚く、システィーナ礼拝堂の天井画や「最後の審判」を描いた壁画が有名です。晩年は主に建築に才能を費やしたそうです。

ミケランジェロの美術的な表現手法「マニエラ」は、ミケランジェロの弟子であるヴァザーリによって後世に広く伝えられ、マニエリスムという現象のとなり、芸術的ルネサンスの最終形態として時代を席巻したのでした。ちなみに、17世紀頃の美術界ではマニエリスムは模倣であって芸術ではないという意見も現れ、マンネリの語源ともなりましたが、今ではまた再評価されてマニエリスム期の作品群も芸術的価値を認められているそうです。

戦争が終わったら、一度は観に行ってみたいですね。さて、次回は宗教改革についてにします。

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