2022年1月19日 本日の鹿児島県北西部は快晴。

気温は低いのに、日差しが強くて外壁の温度が暖かいので、エアコンのセンサーが室内気温も高いと判断してしまって、室内が暖まらないという・・・ま、そんな日もありますね。
さて、久々に水曜休みなので哲学記事など書いて行きます。

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アクィナスは被造物はアリストテレス的な形相と質料からなる実体であるとして、人間を人間たらしめている形相(本質)は『理性的な魂』だと述べました。全知全能の神の本質を分有する『人間の魂』は、人間に『知性』と『意志』という極めて重要な能力を人間自身に与えていて、神の実在を直観するための『知性』こそが最も価値のある力だとし、人間の知性が導き出す『正義・節制・勇気・思慮』の4つの徳の実現を目的として生きることが『善なる生き方』であるとして、固定的なイデア(善性)を目指して生きる『主知主義(理性主義)』の世界観を提示しました。そして、死後、聖人となり『神学大全(スンマ・テオロジカ)』は中世キリスト教会の中心的な教義体系となっていきました。

カンタベリーのアンセルムスやピエール・アベラールから始まったスコラ学の歴史は、ロジャー・ベーコンやアルベルトゥス・マグヌスを経て、トマス・アクィナスの時代に実在論としての完成度を高め最盛期に到達したのでした。

しかし、スコラ学は次第に権威主義的な文献学・教義学として硬直的な傾向を強めていきます。キリスト教の正統性を証明するだけにとどまり、社会状況を改善する新たな知識や価値を提示できなくなったスコラ学は、ドゥンス・スコトゥスやウィリアム・オッカムの思想によって批判的に乗り越えられることになりますが、彼らの思想体系は『主意主義』と呼ばれるもので、神を直感的に捉えていたアクィナスに対して、スコトゥスやオッカムは神の前に個の意思があると考え、キリスト教的な幸福についても「人が神を愛するから存在する」という個の主体性を重視したものでありました。オッカムの剃刀という考え方も後の哲学に大きな影響を与えました。

この頃から、主知主義と主意主義が両輪のように哲学の時代を創って行くことになります。
さぁいよいよ中世が終わり、華々しい哲学の時代が到来しますよ。