2021年11月10日 本日の鹿児島県北西部は雨。

今日は仕事も休み、音楽を聴いていたらいつのまにか寝てしまい夢を見ていました。
夢の始まりは南米への渡航チケットをキャンセルする為に街のJTBを探し回る所から始まります、駅ビルに入るJTBプラザがやっと開いていて、ギリギリのタイミングでチケットをキャンセルすることができ、ホッとしていると、奥で資料整理していたメガネをかけた青年と他の社員がプラトンの国家論についてなにやら討論していました。その青年が私に話をふってきて、国家論の解釈の討論となり、場所を駅のベンチ、どこかの大学のゼミ室(教授が二人いる)と場所を移しながら、討論は続きますが、私は常に「人の魂は自由だ、だから善も悪もある、既成の思想に縛られるのではなく、既成の思想を自分の思想で飛躍させることが大切!人類に必要なのは梵我一如の境地に至ることだけです。」と主張していた・・・集合的無意識下のどこかの青年さん・・つまらん討論にしてしまってすまんかったです。

無題


新プラトン主義(ネオプラトニズム)
紀元後200年頃には、キリスト教を既存の哲学で説明する融合が行われたという話を前回しました。今回のお話の新プラトン主義は、そうして哲学的側面を帯びたキリスト教における神を説明する為の最大の土台となって、それ以後1000年以上の哲学の中核をなす事になります。
内容としては「一者(ト・ヘン)」と呼ばれるものから万物が流出して「知性(理性)→精神(霊魂)→万物(物質)」という流れで我々になるので、「ト・ヘンを認識したければ、その逆を辿ればいい」という考え方で、ト・ヘンがプラトンの説いたイデアであり土台にあって、ト・ヘンに辿り着く(解脱する)までの実践として、ストア派やアリストテレス派やピタゴラス派の哲学的行動様式が使われるという感じです・・エジプトの哲学者プロティノスが創始者。新プラトン主義は、プラトンの2元論の世界を1元論として集約し、それが、「神の世界から始まり、神の世界に帰る」というキリスト教的思想と合致して、大きなブームを形成します・・教父哲学の完成です。それ以後、キリスト教がローマ帝国の国教として認められたこともあって、新プラトン主義は全ての哲学の中心となって、学問としての哲学の発展、科学の発展に影響して行く事になります。

次回はカッパドキア三教父について。