2021年9月15日 本日の鹿児島県北西部は曇り

水曜日ですね。先週の続きを書いて行きます。本日は申命記です。いよいよモーセ五書の最後です。今回の説明内容はとてもわかりやすかったYou Tube動画を文字起こしして、少し編集したものです。今透析中なので、帰ってからリンク貼ります、ご了承下さい・・・てかコレは引用でよいのか盗作になるのか・・・出典を明記したら良いよね?学習教材としての利用だし・・・でも私は学校教員ではないし・・・クレーム来たら下げましょう。

------引用先:聖書プロジェクト BibleProject - Japaneseチャンネルさん
こんなに質の高い動画が作成できる才能を尊敬します。


申命記は聖書の五つ目の書であり、トーラーの最後の書です。出エジプトのあとイスラエルの民はシナイ山に1年程とどまり、神との契約を結びました。その後、彼らは荒野を彷徨いながら、悲惨な旅を続け、出エジプトをした世代は神への不義理もあって約束の地に入る資格を失ってしまいました。

申命記はモーセがイスラエルの新しい世代へ律法について説明する所から始まります。

この書の中心は神とイスラエルが結んだ契約の内容である律法です。その中には新しい律法も含まれますが、多くの律法はシナイ山で結んだ契約の繰り返しです。これが再び命じると言う申命記の名前の由来で、ギリシア語ではデウトロノミオン(第二の律法)となります。

律法の前後にはモーセの説教が二つあり、これらは各々二つに分かれています。

モーセは先ず、これまでの道のりを要約し、前の世代が恐ろしく反抗的だったこと、それとは対照的に神が常に恵み深く、彼らを荒野で養ったことについて、そして、確かに神は正義をもって悪を裁きましたが、契約を破棄しなかったことについて語りました。次に、モーセが新しい世代に向かっていったことは、契約に対して、親の世代より誠実であれと訴える熱のこもった説教をしたのでした。。

モーセは彼らに十戒を思い起こさせ、さらにこの部分の最も大事な事としてシェマと呼ばれる有名な言葉を述べます。「聞けイスラエルよ、主は私達の神、主は唯一である。あなたは心を尽くし、命を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」

これはユダヤ教の重要な祈りになり聖書にある全てのテーマがここに集約されています。聞けと言う言葉はヘブル語でシェマですが、これは単に耳で聞くだけでなく聞いた事に応答せよ、つまり、聞き従えという意味になります。また、愛せよという言葉もヘブル語では単なる感情的な愛ではなく、意思と感情と思考と思いの全てをもって自分を神に捧げると言う決断のこととなります。

イスラエルにとって神に従い自分を捧げることには、更に大きな意味がありました。イスラエルは律法に従う事によって、他の国とは違う特別な民となるからです。神がシナイ山でイスラエルは祭司の王国になると言いました。ここでモーセはイスラエルが律法に従う事によって神の智慧と正義を世界中に示す事が出来ると説明しました。
シェマのもう一つの重要な要素はイスラエルは「主」ただ一人に従い、仕えるために召されているという事です。主はイスラエルが礼拝し、従うべきただ一人の神という事です。

イスラエルが入ろうとしているカナンには多くの偶像がありました。太陽を始め、天気の事象などの被造物、あるいは性や戦争をかたどった神々です。これらの神々を拝むことは人間の尊厳を落としめ共同体を破壊するものだとモーセは教えました、しかし、創造者であり贖い主であるイスラエルの神を崇拝するなら、命と祝福に導かれるのです。

さて、申命記の中心には沢山の律法が記されており、それらはテーマ別でおおまかに分類されています。

最初の部分はイスラエルの神の礼拝の仕方について。イスラエルの民の中心には唯一の神が礼拝される宮があります。また貧しいものを顧みる事も神への礼拝でした。例えばイスラエル人は毎年、収入の1/10を宮に捧げていましたが、別の1/10は取り分けておいて、3年毎に貧しい人々に分け与えられたのです。こういった律法はイスラエル人の正義についての感覚を近隣諸国のそれよりずっと優れた者にしましたが、それはすべて神への礼拝と結びついた行為だったのです。

次の部分は長老祭司王といったイスラエルのリーダーたちの資質について述べています。彼らはみな律法の権威の下にあり、神は彼らが責任を果たせるように予言者を送って律法を守らせると言いました。つまり、王自身が神であり法律であった近隣諸国とは違って、イスラエルの指導者たちは律法と予言者の下にある存在だったのです。

次の大きな部分は民の生活についての律法でその内容は結婚、家族、仕事、そして未亡人や孤児や移民をどのように守るかと言った社会正義についてです。

最期は更に礼拝についての律法で締めくくられています。さて、これらの律法を理解する上で気をつけるべきことがあります。先ず、このシナイ契約は現代の私達とは全く違う文化をもつ古代のイスラエル人に与えられたものだという事です。ですから、これを現代の法律と比較しても意味がありません。むしろこの律法はイスラエルをアッシリアやバビロンといった近隣諸国とは違う存在にしておくためのものだったのですから、彼らの法律と比べてみるべきです。そうすれば厳し過ぎるとか奇妙だとか思われた律法が突然違って見えてくるはずです。つまり、神はイスラエルを正義においてかつてない程の高い基準を持った国にしたのです。

モーセは全ての律法を述べた後、イスラエルに対して神につき従い、神を愛せと命じました。モーセは先ず警告した後、もしイスラエルが聞き従うなら神の豊かな祝福があるだろう、しかし、聞き従わず逆らうなら、飢饉疫病荒廃がもたらされ最終的には約束の地から追放されるだろうと言い渡しました。そしてモーセは今日私はあなた方の前に命と死、祝福と呪い、善と悪を置くだから神である主を愛し、聞き従い、命を選びなさいと言って決断を迫ります。しかし、モーセは私の死後あなた方は神に逆らい追放されるだろうとも言いました。残念な話ですが、この民と何十年も過ごして来たモーセには彼らを期待する事ができなかったのです。しかし、希望もあります。モーセは「イスラエルは彷徨ってもやがて心に割礼を施し心と魂を尽くして神を愛し生きるようにさせて下さる神に立ち返ることができる」と言ったのです。

この事はイスラエルの民の致命的な欠陥を現わして居ます。彼らの心は頑なですが、実はこれは全人類に共通しており、元を辿ればエデンの園での反逆に行き着くのです。人は神の権威を奪い取り、善悪の判断を自分でしたいと願った結果、神の良き世界を台無しにしました。しかし、神は何時の日か人の心を作り変え、彼らが真心から神に聞き従い、愛し、真の命に導かれるようにして下さるとモーセは言ったのです。この心が新しくされるという約束は後に、予言者エレミアとエゼキエルによっても語られます。モーセは警告と祝福を語って説教を終えると山に登り、死をを迎え、トーラーも終わりを迎えます。聖書のストーリーのテーマは全部並べられていますが、何一つ解決はありませんでした。

悪を打ち砕く女の子孫はいつ来るのか?神はどのようにして全世界を救い、アブラハムの子孫を通して全ての国を祝福してくれるのか?神の聖なる性質は絶えず反抗する民とどう折り合いを付けるのか。そして、神はどのようにして人の心を変えようというのか。
それらの答えを求める壮大な旅が始まるのです。


雑感

さて、キリスト教、イスラム教の基礎でもあるユダヤ教の基礎の基礎、創世記に始まるモーセ5書の内容を見てきました。この内容が紀元前に多くの人に愛されたと言う点に思いを馳せると人間がとても愛しく感じます。次回からはキリスト教への発展の辺りを書きたいと思います。キリストの行為は非常にその後の哲学に影響を与える事になります。宗教は哲学か否か 皆で考えて参りましょう。