2021年9月8日 本日の鹿児島県北西部は快晴。

水曜日ですね。哲学記事の日です。先週の続きを書いて行きます。

パランの荒野
無題


民数記

レビ記において神は、イスラエルをシナイ山に導き彼らと契約を結びました。
そして、彼らの背きの罪にも関わらず、幕屋に自身を降臨させイスラエルの民と共に歩む道を示しました。民数記はイスラエルがシナイ山での一年の滞在を終えて、神がアブラハムに約束したカナンの地を目指し荒野に出て行くところから始まります。

この書は旅の進み具合に沿って構成されています。

シナイ山からパランの荒野へ旅立つ所から始まり、約束の地の真向かいに当たるモアブの平野を渡って行きます。冒頭では神による人口調査が行われ、民数記というタイトルもここからついています。また、イスラエルの部族には、宿営する時の配置についての律法があり、まず、中心に会見の天幕、その周りに祭司とレビ人が円周状に、そしてその周りに12部族がユダ族を筆頭に十文字を描くような形で配置されます。神を中心にした宿営の形こそ神の清いご臨在が神の中心にあったことの象徴でした。その次にはレビ記の清さについての律法をさらに発展させたものが続きます。

神が彼らの只中に居てくれるなら。この清い神の臨在を保つために、宿営を清く保つあらゆる努力をしなければなりません。民は努力のかいあって神をシナイ山から荒野へと導くことに成功しますが、そのとたん、事態は悪化します。空腹と喉の渇きに耐えられなくなったイスラエルの民は文句を言いはじめ、エジプトに帰りたいと訴え始めました。モーセの兄と姉もイスラエルの民の側に立って神にたてつき、皆の前でモーセを非難しました。旅は最悪のスタートとなってしまいました。

そんな意見の対立が有りながらもイスラエルはパランの荒野に到着します。約束の地まで、丁度半分程の道のりです。神はモーセに十二部族から一人づつ選び出し、約束の地を偵察させるようい命じました。戻って来た偵察隊の内十人はイスラエルには勝ち目はなくカナン人に滅ぼされるだろうといいました。しかし、カレブとヨシュアの二人は神が助けて下さるだろうと言いました。すると、残りの十人はイスラエルの民を扇動して反乱を企てました。新しい、主導者を立て、エジプトに帰ろうとしたのです。当然のことながら、神は怒り、モーセは民の為に、とりなしました。モーセはアブラハムへの約束を守って下さいと懇願しました。神はそれの願いを聞き入れましたが、その為に正義を曲げることはせず、約束の地に入りたくないと言った者にはその通りにしてやることにして、この世代が死に絶えるまで四十年荒野を彷徨わせると宣告されたのです。彼らの子供世代が約束の地に入る事になりました。

彼らがこれで目を覚ませば良かったのですが、事実は逆でした。レビ人の一団がモーセとアロンに対して、あなた達は分を超えているといって立ち向かったのです。神はこのレビ人達に厳しく対処し、ご自身がモーセとアロンを民の主導者に立てたことを改めて宣言しました。こうしてイスラエルの民はパランを旅立ちましたが、彼らの態度は改まっていませんでした。のどの渇きを訴えて不平を唱え、何故エジプトから連れ出したのかとさえ言ったのです。そこで、神は岩に命じて民の為に水を出せと言いました。しかし、モーセはその神の甘やかしが気に入らず、その通りにはしませんでした。「逆らうもの達に我々がこの岩から水をだしてやらねばならないのか」と、まるで自分が水を出してやったと言う態度を示し神を押しのけてしまいました。その為、モーセは荒野を彷徨い続ける民と同じ運命をたどる事になりました。彼も、荒野で死に、約束の地には入れないのです。

民はこの後も神に逆らい、神は一風変わった裁きを下しました。毒蛇が現れ民を噛んだのです。モーセが再び民の為にとりなすと、神は次のように命じます。「青銅の蛇を作り、棒の先に取り付けて挙げる事。その蛇を見上げたものは蛇の毒から癒される。」奇妙な方法てすが、神は神の加護を心から願う者に対しては救済の道を用意したのでした。

こののち、民はモアブの草原に向かいます。この草原でバラムという変わった人物に焦点が当たります。モアブの王は自分の領地を横切って行くイスラエルの大集団におそれをなし、彼らを呪う為に魔術師を雇いました。バラムは三度に渡ってイスラエルを呪おうとしたのですが、三回ともそれができず、逆に祝福してしまう始末でした。神はバラムにイスラエルを呪わせず、かえって祝福させただけでなく、いつの日か全ての国に神の義をもたらすイスラエルの王についてのビジョンを彼にみせたのです。

この後、民数記は荒野世代の子ども達に焦点を移します。
彼らは約束の地を受け継ぐ準備を始めました。新しい世代の人口調査を行い、近隣諸国との数々の戦に勝ち、幾つかの部族は約束の地に落ち着きました。民数記の最後は新しい世代が約束の地に入り、モーセが知恵と警告を伝える最後の説教をしようとしている所で終わります。

死を前にモーセはイスラエルの民に何を語るのか・・・申命記に続きます。

雑感
民数記は読んでいて面白いです。神は我慢強いですね。民がどれだけ不義理でも全体としては見捨てない。その動機が何なのか、損得勘定なのか愛なのか、かつてはあっさり大洪水で粛清を行った神が、幕屋の成功により人に情を移したと言うことでしょうか?ともかく申命記にその答えがあるのか無いのか、次週に続きます。