2021年8月11日 本日の鹿児島県北西部は曇り

水曜日は哲学曜日。
哲学の黎明の時代からローマ帝国の国教としてキリスト教が選ばれ広くヨーロッパへ広がる背景を知る上で、キリスト教の基でもあるユダヤ教(旧約聖書)の内容について知っておくことは大切だと思いますので、今回は、モーセ五書の「創世記」について要約して行きます。モーセ五書はモーセがエジプトから脱出させたイスラエルの新世代達に、何のために約束の地(カナン)を目指すのかを説くためにかかれた書物とされています。天と地の始まり、人類の始まり、罪の始まり、イスラエル民族の始まり、神の人類救済計画の始まり。創世記ににはこれらが語られています。

無題


創世記

人類の歴史のパート

「初めに神が天と地を想像した。」この世界は神の所有物であることが語られ、「さぁ人を造ろう。我々の形として、我々に似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地の全てのもの、地を這う全てのものを支配するように」神は人を自身の形として創造し、「その後、神である主は仰られた「人が、一人でいるのは良くない、私は彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう」」と女を創造し、婚姻という概念が誕生した。そして二人の間に一つだけ禁忌を儲けた「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べて良い、しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それをとって食べる時、あなたは必ず死ぬ。」


蛇に乗り移ったサタン(サタンとは堕天使の長であるが、創世記ではその起源は語られない)はエヴァに「善悪の知識の木の実を食べること」をそそのかす。「死」恐怖をしらない二人は好奇心に負けて禁断の果実を口にしてしまう。恥じらいを認識した二人の様子から約束が守られなかった事を知った神は二人を楽園から追放することにし、サタンに対し「私は、お前(サタン)と女の間に、また、お前(サタン)の子孫と女の子孫との間に、敵意を置く、彼は、お前(サタン)の頭を踏み砕き、お前は彼の踵にかみつく」と宣言した。アダムとエヴァは罪の一部になることによって罪の意味を知り、死の恐怖を体験として認識ていくのだった。楽園を追放された二人の間には2人の子どもが生まれる・・カインとアベル・・しかし、カインがアベルを殺す。アベルの代わりに神は二人にセツを与え、人類は徐々にその数を増やしていった。しかし、「主は、地上に人の悪が増大し、その心に計る事が皆、いつも悪い事だけに傾くのをご覧になった。それで主は、地上に人を造った事を悔やみ、心を痛められた」という結果にしかならず、一度リセットを試みる事に。

神はリセット後の世界をセツの子孫であるノアに託すことにして大舟の建設を指示しました、ノアと妻、息子のセム、ハム、ヤペテとその妻達の計8人はその仕事を全うし、8人以外の人類は大洪水の日に全て絶命しました。新しい人類を再スタートした8人でしたが、順調に増えた人類でしたが、人々は今度はバベルの塔を造り、自らが神になることを画策した為に、神は、言語を幾つかに分け、世界中に分散させました。新しい世界においての人類救済計画の遂行の為に、神はノアの子孫からアブラハムを指名します。

---ここからはイスラエルの民の歴史
ある日、アブラハムに神の啓示がおり、契約がなされました。「その後、主はアブラムに仰られた「ななたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、私が示す地へ行きなさい。そうすれば、私はなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者を私は祝福し、あなたを呪うものを私は呪う。地上の全ての民族は、あなたによって祝福される」」アブラハムの信仰は厚く、従順でしたが、妻のサラが病弱でなかなか子宝に恵まれなかったので、エジプトから来た女奴隷との間にイシュマイルという子どもをつくりました。その後、サラとの間にイサクが生まれ、サラはイシュマイルとその母を非常に嫌います。二人の母との板挟みに苦しむアブラハムですが、そんな神はさらに試練を与えます・・「イサクを捧げよ」と本当に信仰心があるのならイサクの命をもって証明することを迫ったのでした。アブラハムは意を決してイサクの心臓に刃を突き立てる正にその瞬間、神はアブラハムの信仰心を認め、人類救済計画はイサクへと引き継がれることになりました。イサクはエサウとヤコブという双子に恵まれ、。ヤコブが神の仕事を継承することになりました。

ヤコブは子宝に恵まれ、12人の子を持ちましたが、これが12部族(イスラエルの民)の始まり。80人程度の集団と規模が小さかったので、カナン人の文化や宗教に吸収されていってしまうのを危惧した神は、ヨセフに「イスラエルの民を育てる為の土地の開発」という役割(本人はただ運命に翻弄される)を与えエジプトでの権力を与えるとヤコブの家族(イスラエルの民)を安全にエジプトへ移住させた。しかし、ヨセフの死後、政治的知恵を失った集団はエジプトの中で400年間奴隷として歴史を刻むことになる。いつか約束の地カナンへと帰ることを希望としてイスラエルの民は苦難に耐えたのだった。「ヨセフは兄弟たちに行った。「私は死のうとしている。神は必ずあなた方を顧みて、この地からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ上らせて下さいます。」そうして、ヨセフはイスラエルの子らに誓わせて、「神は必ずあなた方を顧みて下さるから、その時、あなた方は私の遺体をここから携え上って下さい」と言った。ヨセフは110歳で死んだ。彼らはヨセフをエジプトでミイラにし、棺に納めた」

----------創世記 終わり---------
次回 出エジプト記

雑感

映画等になっているのは「出エジプト記」辺り以降なので、創世記についてはあまり知らない人の方が多いと思います。ともかく、娯楽も少ない当時の人達からすると、作品としても面白かっただろうなと思いますが、印刷も無い時代ですから、これらは口伝伝承・・日本で言えば紙芝居屋さん的な人達が居て、聞かせて回ったんだろうなと思います。今の時代でも、幼少の自分が遊ぶ公園でこういう話をしてくれるおばあさんとかいたら楽しんで聞いたでしょうね。宗教として見ると身構えてしまいますが、一つの物語やファンタジーとして観ると面白いと思います。哲学の隆盛してきた地中海沿岸で、たまの息抜きにファンタジーとしてこういうお話を楽しむという光景もあったように感じます。勿論、ローマ帝国は後にキリスト教となった状態を宗教として政治に組み込んでいる訳ですが、その辺もおいおい書いて行きます。所で、神って容赦ないですね・・・洪水で人類ホボ全滅とか、いきなり言葉奪うとか・・それでも愛があるから慈悲深い・・かぁ・・・。