2021年5月19日 本日の鹿児島県北西部は曇り。

田村正和さん・・・しばらく見ないなぁと思っていたら・・ご冥福をお祈り致します。正直、古畑任三郎とぱぱとなっちゃん位しか知らないのですが、存在感が凄い方でしたね。私の青春時代を彩った名作の柱だった俳優さんや作家さんが連続して亡くなっているイメージですが、それが歳をとるということなのかもですね。

無題

荘子

道家の老子の思想と荘子の思想を合わせて老荘思想と呼び、道教の創始者の一人として名高いのですが、老子とは100年の開きがあるので、ある意味別の時代の二人であると言う点と、老子の回でも書いたように、老荘思想と道教は別物であるというのは押さえておきたいポイント。老荘思想として二入の思想をまとめて祀ったのが道教ですが、儒教と仏教が台頭していた当時の中国で、両者に対抗するためにある意味テクニカルに利用したのだと思われます。儒教、仏教、道教という中国の三大宗教の一つとして長きに渡り君臨している所をみても、宗教はさておき、老荘思想が多くの人を惹きつける思想であることは間違いない事です。老子が道(タオ)と無為自然を礎に物理的な理想と、政治側の人間のあるべき姿を説いたのに対して、荘子は老子の道(タオ)と無為自然を踏襲しつつも精神的な理想に踏み込んで、全ての存在のあるべき姿を説いているという違いから、二つを合わせて老荘思想と言われるのです・・もっと言えば、老子は西洋哲学的で荘子は東洋哲学的なイメージ。


老子の所では書きませんでしたが、老子の言う「道(タオ)」とは「万物の根源とされる何かのことであり、人が目的地に到達するために通る場所のことであり、人が存在する様々な場所」。イデア論のイデアに似た感じもありますが、イデア論が3次元的であるのに対して、道(タオ)は4次元的なイメージがあります。道徳(どうとく)という言葉にも道(タオ)が使われているように、道を行く上で必要な心のありようにも派生したという点では、人が意思の力で拓いて行ける未来の可能性を語ったという意味で非常に価値の高い思想だと私個人は思います。

無為自然

老子と荘子が説いた無為自然ですが、それは「宇宙や世界のありかたに従い、 人の余計な手を加えずに自然のままに生きること」 です。 自然そのものを尊重し、自然のルールに身を任せて生きるべきということですが、老子よりは荘子の方がより純粋にこれについて主張し、牧歌的な生き方を推奨している点が庶民に受け入れられる下地となっているのでしょうね。

雑感
すべてのものは道(タオ)から生じるのだからすべてのものは等しい・・宇宙全体から見たらすべてのものは非常にちっぽけなことである・・と言った宇宙観的なものは現代の価値観としても余り違わないのではないでしょうか。西洋思想でも東洋思想でも同じ時期に同じような思想が登場しているということを考えると、シルクロードのようなルートを通じて旅をした沢山の夢追い人達が情報の交換をしていたのだろうなと想像します。ですが、現状の世界では学問的には西洋哲学の方が上で東洋哲学は下・・的な雰囲気が好きではないです。個人的には、どちらもが補完し合って一つの哲学だと感じるのですよね。だから、両方知るべきだと感じます。西洋哲学は見える世界を語り、東洋哲学は見えない世界を語る。西洋哲学にキリスト教が絡む関係で、その境界がぼやけてしまうのですが、アリストテレス氏の神の定義をキリスト教が悪用したというだけの話なので、その点を整理しながら両者を見ると、本当に面白い位に対比的であり、随所で相関的です。暇を持て余しておいででしたら、この機会に是非、何でも良いので読み比べしてみてはいかかでしょうか?老子と荘子もなかなか読み応えのある大作なのですが、どちらかと言えば荘子の方がエンタメ色があって面白かったです・・・全部読むとめちゃ時間かかりますが、暇な時にチビチビ読むのでも良いのではないでしょうか・・お勧めです。