2021年3月28日 本日の鹿児島県北西部は雨。

本日は映画館のある場所の近くに用事があったので、このタイミングを逃してはならない~ という事で、見て来ました「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」

エヴァンゲリオンがどんな作品かは、私が書かずとも、Wikipedia等で読まれた方が詳しいので、譲ります。今回は、感想のみ書いて行きます。ネタバレしない主義なのですが、今回は、ネタバレ凄く含みますので、知りたくない人はこのままそっとページを閉じて下さいね。

さよなら、全てのエヴァンゲリオン
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以下感想と解釈**ネタバレありあり***
一番印象に残ったのは冬月副指令の「これで良かったのだな ユイ」という言葉。

映画の冒頭は過去の振り返りから始まり。本編は、Qの続きから始まります。
死んだはずのトウジが医師をしている世界なので、前回のインパクト後のパラレルワールド。
物語の根幹は碇ゲンドウの「ユイを取り戻せ大作戦」。ゼーレのシナリオを利用して、願いのなんでも叶う場所へ到達してそれを果たすというのがゲンドウの目的で、その為に自分は全能なる知性を取り込んで使徒化していたことが明かされました。そして、使徒化の反動としてか分かりませんが、ユイへの想い以外は「渚カヲル」として具現化し、実は、ゲンドウはカヲルだった(既に別人格ですが)ことも明らかに・・・初号機VSゲンドウ初号機(13号機)がパラレルワールドの中で展開するのですが、ゲンドウ初号機(13号機)のたたずまいがカヲル君そのものだったこともゲンドウがカヲルであることのダメ押し演出、実はゲンドウはカヲルという存在を通して息子をずっと気にかけていた事実に胸熱。戦いは肉弾戦から話し合いへと移り、ゲンドウはシンジの中にユイを見つけ戦いから降ります。ミサトが命を懸けて事象の地平を超えて届けてくれた槍をキーとしてシンジは「エヴァの要らない世界」を実現するために二つの初号機とともに自決するため槍を突き刺そうとしたその瞬間、シンジの中のユイによってシンジの魂は初号機から押し出される形で離脱し、エヴァの要らない世界の住人となる権利を有して転生。
4体のエヴァの犠牲を払って、マリによって裏宇宙から表宇宙に回収されて現実世界へと。歳をとらないはずのシンジがちゃんと年齢を重ねている世界で駅のホームに腰掛けるシンジ・・・向かいのホームには若き日のゲンドウとユイの姿。マリが駈け寄り、「さぁ行こう」と二人手を取り走り出し、映像は実写風へと変わり、その中を二人が颯爽と駆け抜けていくシーンから、宇多田ヒカルのエンディング。

いや、良かった。本当にキチンと終わった感じで、爽快感がありました。多元宇宙、事象の地平、を扱っているので、無限の結末が示唆されて、観た人それぞれにそれぞれの解釈があると思います。この物語は、ゲンドウがユイを取り戻すまであと一手に迫った世界として素晴らしい完結だったと思います。そして、その想いがユイによって阻止されるという結末もまた日本人的わびさびが効いて素晴らしいと感じました。マリが「マリア」であり、救世主を生む人物としてユイから託された人物であったこともまた凄い設定だなぁと。そして、やはり、最後が実写的な演出になったのが「:||」の意味だなぁと思いました。「巨神兵東京に現る」に繋がるんだろうなと。そう思うと、どこかに、使徒再来の穴が無いのか検証したくなりますが、今は、まだ純粋に余韻に浸ろうと思います。20年以上の時を超えて楽しませてくれた作品の完結に一抹の寂しさもありますが、この作品は、見直す度に解釈の変化する作品だと思いますので、味がしなくなるまで噛み続けたいと思います。

ふと思うのは、このキリスト教的世界観で描かれた作品を、キリスト教信者の人々はどう見るんだろうということ。シン・エヴァにおいては何を成すにも「死を代償」としましたが、「沈黙」というキリシタンを題材にした映画を思い出していました。自己犠牲の上に成り立つ世界は真に素晴らしい世界であるのかどうか・・・そんなことも考えさせられる作品でした。結局、綾波、弐波、真希波と参人の女性エヴァパイロットに波の文字が使われる理由は明らかになりませんでしたが、個人的には、使徒化した場合は波がつくのかなと・・・そう考えると、エヴァが要らなくなった世界で唯一使徒を再来させる可能性が残るのは真希波・・・もしくは、真希波が生む子ども・・・いや、本当に面白い作品です。

さて、次は公開延期になったシン・ウルトラマン・・・楽しみです。