2021年3月7日 本日の鹿児島県北西部は雨。

昨日は久々のデイキャンプでしたが、そのキャンプ場の広場で音楽イベントが開かれていました。既存のジャンルに捕らわれないタイプの音楽でした・・・アフリカ原住民的な音楽をPOP変換した感じだったり、テルミンを使った高周波的な音楽に低音をかぶせたりだったり・・・個人的にはちょっと苦手な感じでしたが、あの後は人が集まったのでしょうか・・・。そんなことを思い返して居ましたら、ふと、最近聞いた曲で気になったものを思い出したので備忘録的に。

癒しの画像だなぁ。
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うっせぇわ
文字通り「うっせぇわ」という楽曲。yahooニュースか何かで最近バズっているとして紹介されていたのがキッカケで聴いたのが最初です。本家を2回程聞いて、オマージュ作品のいくつかを観たのですが、私個人としては「う~む 分かるような分からんような・・分からんな」という感想、プリンセスの心のツブヤキでの替え歌作品とか面白かったですけどね。歌の主旨を要約すると「真面目で何でもハイハイという事を聞いてはいるけど、ホントは誰にも支配されない自由な心で生きてるんだぜ!なめんなよ!」という歌だと思うのですが、違和感を感じるのは、結局、これって心の叫びであって、現実には表に表現されない叫びであって、楽曲の主人公は永遠に悶々とした世界の中から抜け出せていないという救いの無い曲に聞こえるのです。社会の中での自分のあるべき立ち位置を自己完結してしまって、裏垢(心の中やネットの匿名の場所)で罵詈雑言を吐きながら、誰かの言いなりの人生を送る事を肯定している内容にも感じてしまいます。若者の間でバズって居る理由も「うっせぇわ という雑言を公然と叫べる」「自分の心を代弁してくれていると感じている」「ボーカルが若いのにパンチが効いて上手」「ライトノベル的雰囲気が好き」な所だろうと思うのですが、最終的に「どうだっていいぜ」という自己否定が刷り込まれてしまうので、歌えば歌う程に心が荒む気がします。リア充なら不必要な感情へ思考誘導されてネガティブシンキングの種に成りますし、病んでいる人だと、より深刻さを増す・・・こういう完全に閉鎖された世界に落とし込まれる論理構成は大丈夫だろうか・・と思ってしまいます。多くの人は娯楽と捉えていて問題はないのだろうけど、「うっせわ」と叫ぶたびに具体的な誰かが思い浮かぶ人は気をつけた方が良いと、洗脳技術の観点から感じます。

雑感
人の心は千差万別なので、この楽曲で救われたと言う人も居るのかもしれませんし、色々書きましたが、私自身も作品として面白いなとは感じます。でも、自分の愛する子どもがこの楽曲を夜中に大声で歌い出したら気が気でないだろうな・・・幸いにして、私には妻も子どもも居ませんのでそんな危険はありませんが、82歳の父親が突然これを歌い出した時には・・・・いや、まぁそのパターンなら人間の可能性の大きさに感動するかな・・・ともかく、この楽曲を一緒に歌える家族が正解なのか、不正解なのかも含めて、非常に哲学的な問を与えてくれる楽曲であることも確かです。私個人はこの曲の主人公に対して「こんなにもストレスを溜めるような仕事なんてさっさとやめて好きな事やりなよ」と言いたくなるのですが、「それがうざい ほっとけ」と言われるのでしょうか。何とも難しい時代になったものです、一切合切凡庸な私が若者の心の内を想像力で察することなんて無理なので対話を求める訳ですが、どこかの焼き直しでない言葉を日々蓄積して、「お前のいう事なんて全部ネットに書いてあんだよ!」なんてことを言われる確率をできるだけ減らせるように頑張りたいなと思った日曜日でした。そうそう、ついカッとなるそこのあなた、原因はもしかすると機能性低血糖かもしれません、イライラして甘い物が食べたくなる人は糖質量の減量を検討してみて下さいね。糖尿病を拗らせて他人の協力なしに生命を維持できなくなると「うっせぇわ」なんていうメンタルでは地獄を見ますので、糖尿病にだけはならないように気をつけて下さいね・・・「そうなったら死ぬから関係ねぇわ」なんて言わないで、折角人間としてこの世界で奇跡的に成立しているのですから、可能な限り、この世界を楽しみましょう。でわ。明日からはまた、一週間です、元気に明るく笑顔で、他人の良い所だけを探して駆け抜けましょう!あっでも物理的に実害のある人や物や仕組みからはちゃんと逃げて下さいね!

本家楽曲へのリンクは貼りませんので、気になる人はyoutubeで「うっせぇわ」検索してどうぞ。メンタルを飲み込まれないように、しっかりと自分を持って聴いて下さい。

本家じゃない方を貼っておきます・・・別の意味でメンタルを保ってお聞きください。