2020年10月7日 本日の鹿児島県北西部は快晴。
ホリエモンを入店拒否した餃子屋さんが閉店に追い込まれてしまったようですね。飲食店というのは本当に大変な職業だなぁと思います。乙武さんの飲食店トラブルの時も思いましたけど、フォロアー数1万人以上の人のSNSや投稿サイトへの飲食店の口コミ投稿は法的に禁止したら良いような気がします。1万人という数字に根拠は無いので1000人でも良いですけど。ともかく、キチンと頑張っている人が報われる世界であることを願います。本当に美味しいお店はネットじゃなくても知れ渡りますし、自分で探検して探し当てる楽しみが復活してゆくと良いなと感じます。
形而上学
中々説明の難しい形而上学という言葉ですが、紀元前70年頃、アリストテレスの創立した学園であるリケイオンの第11代学頭であるアンドロニコス氏がアリストテレス氏の残した資料を注釈を加えて編集して、アリストテレス全集のような形で、論理学、自然学、第一哲学、倫理学、政治学、制作術というカテゴリに纏めたのですが、その際に、自然学(フィジカ)の後に置かれた宇宙や神等について考察される14の巻からなる「第一哲学」が「メタフィジカ(自然学の後ろにおかれたもの)」と呼ばれるようになり、いずれ、メタフィジックスという英語となりました。明治時代の日本の哲学者である井上哲次郎氏がメタフィジックスを和訳する際に「形而上学」としました。形而上という言葉は古代中国の哲学書である「易経」に由来していて、その中の「形而上は、これを道(タオ)といい、形而下は、これを器という。」一文からとられたのだとか。形而上とは「形を越えたもの」、形而下とは「形に支配されるもの」という意味、そしてここで言う「器」とは自然界を指しているのだとか。ともかく、そういう訳で、形而上学とは簡単に言えば、アリストテレス氏のメタフィジカにおいて語られる「形を越えたものに対する考察」だと言えます。
何が語られるのか
アリストテレス氏の形而上学の中では、感覚、非感覚、論理、数学、神学などを網羅した幅広く包括的な考察が展開されます。ただ、現代の形而上学は科学の発展などに伴って考察の範囲が非常に狭い領域となっているので、アリストテレス氏の形而上学と現代哲学の形而上学は別物だと思った方が良いのかもしれません・・・温故知新・・・ともかく、確かな事は、2000年を超えて影響を与え続けるアリストテレス氏のような天才がどれだけ考えても「人の存在理由」には辿り着かなかったという事実。人はどこから来て、どこへ行くのか、そしてなぜ存在するのか・・・この秋の考察にいかかでしょうか。
次回は、形而上学の内容を少し書きたいと思います。
ホリエモンを入店拒否した餃子屋さんが閉店に追い込まれてしまったようですね。飲食店というのは本当に大変な職業だなぁと思います。乙武さんの飲食店トラブルの時も思いましたけど、フォロアー数1万人以上の人のSNSや投稿サイトへの飲食店の口コミ投稿は法的に禁止したら良いような気がします。1万人という数字に根拠は無いので1000人でも良いですけど。ともかく、キチンと頑張っている人が報われる世界であることを願います。本当に美味しいお店はネットじゃなくても知れ渡りますし、自分で探検して探し当てる楽しみが復活してゆくと良いなと感じます。
形而上学
中々説明の難しい形而上学という言葉ですが、紀元前70年頃、アリストテレスの創立した学園であるリケイオンの第11代学頭であるアンドロニコス氏がアリストテレス氏の残した資料を注釈を加えて編集して、アリストテレス全集のような形で、論理学、自然学、第一哲学、倫理学、政治学、制作術というカテゴリに纏めたのですが、その際に、自然学(フィジカ)の後に置かれた宇宙や神等について考察される14の巻からなる「第一哲学」が「メタフィジカ(自然学の後ろにおかれたもの)」と呼ばれるようになり、いずれ、メタフィジックスという英語となりました。明治時代の日本の哲学者である井上哲次郎氏がメタフィジックスを和訳する際に「形而上学」としました。形而上という言葉は古代中国の哲学書である「易経」に由来していて、その中の「形而上は、これを道(タオ)といい、形而下は、これを器という。」一文からとられたのだとか。形而上とは「形を越えたもの」、形而下とは「形に支配されるもの」という意味、そしてここで言う「器」とは自然界を指しているのだとか。ともかく、そういう訳で、形而上学とは簡単に言えば、アリストテレス氏のメタフィジカにおいて語られる「形を越えたものに対する考察」だと言えます。
何が語られるのか
アリストテレス氏の形而上学の中では、感覚、非感覚、論理、数学、神学などを網羅した幅広く包括的な考察が展開されます。ただ、現代の形而上学は科学の発展などに伴って考察の範囲が非常に狭い領域となっているので、アリストテレス氏の形而上学と現代哲学の形而上学は別物だと思った方が良いのかもしれません・・・温故知新・・・ともかく、確かな事は、2000年を超えて影響を与え続けるアリストテレス氏のような天才がどれだけ考えても「人の存在理由」には辿り着かなかったという事実。人はどこから来て、どこへ行くのか、そしてなぜ存在するのか・・・この秋の考察にいかかでしょうか。
次回は、形而上学の内容を少し書きたいと思います。
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