2020年9月23日 本日の鹿児島県北西部は晴れ時々曇り。

秋だからでしょうか・・・どんだけけでも眠たいです。
ドルチェアンドガッパーナの香水の匂いがどんななのか嗅ぎたいのですが・・・・店が無し。
さて、本日は哲学の日、先週の続きを書いて行きます。
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形相と質料(エイドスとヒュレー)
アリストテレス氏は動物の研究でも有名ですが、動物の観察を通して、プラトン氏が提唱していたイデア論に疑問を持つようになったそうです。イデア論では現象界で具現化される全てのものはイデア界のコピー品で、本質はイデア界という別の世界に存在しているという考え方ですが、アリストテレス氏はその考え方に異を唱えて「本質は「唯一無二の形の中に宿る」」としました。唯一無二の形を「形相(エイドス)」と呼び、形相を形作る原料を「質料(ヒュレー)」と呼びます。つまり、私たちは、それが何かを形によって判断し、原料については「形相を構成する素材であるので個別のモノ」ということです。木材で出来たコップ、ガラスでできたコップ、プラスチックで出来たコップ、それぞれ同じコップですが、素材は違います・・・つまり、本質は私達が目にしている形相そのものであるとアリストテレス氏は論じたのです。所で、植物は同じヒマワリでも「種の状態」「芽の状態」「咲いた状態」「枯れた状態」のでの状態でもヒマワリはヒマワリです。しかし、形相は同じではありません。そこでアリストテレス氏は、そのような形相と質料の関係を「可能態と現実態」という言葉で説明しました。



可能態と現実態(デュナミスとエネルゲイア)
可能態とは「形相の変化可能性を持つ態」の事で、前項で挙げた「種 芽 花」で言えば、種は種として現実態ですが「芽の可能態」でありますし、芽は芽として現実体ですが「花の可能態」であるという具合です。動物でもおたまじゃくしは現実態で「カエルの可能態」という感じです。そして形相の素材である質料においてもその関係は成り立ち、木は木として現実態ですが「家や椅子や机やオモチャ等々の可能態である」という事にも気づき、そういう思索を繰り返す中で、アリストテレス氏は「万物は元々何かになろうとする力を持っている」という結論に至り、この世界の全てのものは「現実態であり可能態である」と説いたのでした。

雑感
次回は「四原因説」について書こうと思います。