2020年8月26日 本日の鹿児島県北西部は曇り時々雨。

さて、本日は哲学曜日。

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プラトン氏***Wikipediaより引用**********
プラトン(紀元前427年 - 紀元前347年)は、古代ギリシアの哲学者である。ソクラテスの弟子にして、アリストテレスの師。ソクラテスから問答法(弁証法)と、(「無知の知」や「行き詰まり」(アポリア)を経ながら)正義・徳・善を理知的かつ執拗に追求していく哲学者(愛知者)としての主知主義的な姿勢を学び、国家公共に携わる政治家を目指していたが、三十人政権やその後の民主派政権の惨状を目の当たりにして、現実政治に関わるのを避け、ソクラテス死後の30代からは、対話篇を執筆しつつ、哲学の追求と政治との統合を模索していくようになる。この頃既に、哲学者による国家統治構想(哲人王思想)や、その同志獲得・養成の構想(後のアカデメイアの学園)は温められていた。40歳頃の第一回シケリア旅行にて、ピュタゴラス学派と交流を持ったことで、数学・幾何学と、輪廻転生する不滅の霊魂(プシュケー)の概念を重視するようになり、それらと対になった、感覚を超えた真実在としての「イデア」概念を醸成していく。帰国後、アカデメイアに学園を開設し、初期末・中期対話篇を執筆。「魂の想起(アナムネーシス)」「魂の三分説」「哲人王」「善のイデア」といった概念を表明していく。また、パルメニデス等のエレア派にも関心を寄せ、中期後半から後期の対話篇では、エレア派の人物をしばしば登場させている。後期になると、この世界そのものが神によってイデアの似姿として作られたものであるとか、諸天体は神々の「最善の魂」の知性(ヌース)によって動かされているといった壮大な宇宙論・神学的描写が出てくる一方、第一回シケリア旅行時にシュラクサイのディオンと知り合ったことを縁として、僭主ディオニュシオス2世が支配するシュラクサイの国制改革・内紛に関わるようになったことで、現実的な「次善の国制」を模索する姿勢も顕著になる。
************引用ココまで。

雑感
ソクラテス氏が西洋哲学の始祖的な立ち位置ですが、私個人の中ではプラトン氏こそが西洋哲学の創始者のように感じています。プラトン氏で有名なのはイデア論ですが、それもヘラクレイトス氏の「万物流転」の考え方から導かれたとも言われています。また、アカデメイアという学園を開いて天文学、生物学、数学、政治学、哲学等を教えて行きましたが、それはピュタゴラス学派との出会いによる影響だとも言われていますし、その出会いによっても、「魂」の概念を拡張させ、イデア論に至ったとも言われています。プラトン氏の出現によって、物質的世界と精神的世界の魂の流動という概念が生まれ、それは現代にまで脈々と受け継がれ、現代でも一つの分野として成立しています。私個人はこのイデア論におけるイデアを具現化したものが「仮想空間」だと考えているので、2300年という年月をかけて、人類はやっとここまで来たんだなぁと感じます。現実に相対する仮想であり、イデアに相対する仮想でもありますが、今後どうなりますか・・・楽しみです。


でわ、次回はイデアについて書いて行きます。