2020年7月29日 本日の鹿児島県北西部は晴れ。
あれっ?もう梅雨って明けたのでしょうか・・・最近は晴れ続きです。
さて、本日はソクラテス氏について書いてみます。
写真は梅の頃の藤川天神(鹿児島県薩摩川内市)

四聖人の一人
ソクラテス氏と言えば、釈迦氏、キリスト氏、孔子氏と共に、四大思想家の一人に数えられます。あっでも、この四聖(しせい)というのはこれだけに定義づけられたものではないので、人によって解釈が異なる場合もあります。日本では奈良時代の仏教家として著名な聖武天皇氏、婆羅門僧正氏、行基氏、良弁氏をさして四聖と呼んだりもしますし、仏教用語で四聖と言うと、四つの聖なる世界を指すこともあります。あと、三聖というのもあって、古代ギリシャの哲学者ならソクラテス、プラトン、アリストテレスとか、その道で秀でた三人を挙げてそう呼んだりします。この辺は、そう呼ばれるに至った歴史とか学問の勢力図とかを考えながら眺めると楽しいかもしれません・・・ヒンドゥー教とイスラム教の開祖が選ばれない理由とかなんとか。
ソクラテス氏(紀元前469年頃 - 紀元前399年)
誰もが知っている大哲学者で「無知の知」で知られる人ですが、ソクラテス氏までは、本人の著作も何も残っておらず、周囲の人間や弟子の作品の中で伝えられることから推察することしかできないので、ここまでが哲学の初期段階と言われています。ソクラテス氏の弟子であるクセノポン氏やプラトン氏からは出版されている具体的な作品が残って行くので、研究における哲学が具体的に始まって行きます。技術的には作品を残すことが可能だった時代にソクラテス氏が作品を残さなかった理由としては「過去の自分の言葉に縛られるのを嫌ったから」ということもあるようです・・・つまり思想は変化するものであると捉えていたのかもしれませんね。彼自身は有神論者で、プラトンの「ソクラテスの弁明」によると、ある日お弟子さんが巫女さんに「ソクラテス以上の賢者がいるか?」と問うた所、「ソクラテス以上の賢者は居ない」と答えられた事が発端となって、その答えへの懐疑の旅の果てに「無知の知」へと辿り着き、どんな賢者よりも「無知の知」という知識を有している分、知識量の勝る自分の方が賢いというのは真であり、神の信託は正しかったという結論に辿り着いたのだとか。問答というスタイルを得意として、当時の賢者や有力者のプライドを挫きまくった為に、ゴシップのや風評被害を受け、神を敬愛してやまない彼が、神を冒涜した罪で裁判にかけられ有罪となってしまいます。脱獄もできる環境にありながらも、最後の問答を終えると、自ら毒を煽り人生に幕を下しました。この顛末はプラトンの著書にも詳しく記述されているので、興味を持たれた方は読んでみて下さい。「ソクラテスの弁明 クリトーン パイドーン」だったかな。
次回は、またちょっと時代を前に戻して、初期の自然科学史について書きます・・多分。
あれっ?もう梅雨って明けたのでしょうか・・・最近は晴れ続きです。
さて、本日はソクラテス氏について書いてみます。
写真は梅の頃の藤川天神(鹿児島県薩摩川内市)

四聖人の一人
ソクラテス氏と言えば、釈迦氏、キリスト氏、孔子氏と共に、四大思想家の一人に数えられます。あっでも、この四聖(しせい)というのはこれだけに定義づけられたものではないので、人によって解釈が異なる場合もあります。日本では奈良時代の仏教家として著名な聖武天皇氏、婆羅門僧正氏、行基氏、良弁氏をさして四聖と呼んだりもしますし、仏教用語で四聖と言うと、四つの聖なる世界を指すこともあります。あと、三聖というのもあって、古代ギリシャの哲学者ならソクラテス、プラトン、アリストテレスとか、その道で秀でた三人を挙げてそう呼んだりします。この辺は、そう呼ばれるに至った歴史とか学問の勢力図とかを考えながら眺めると楽しいかもしれません・・・ヒンドゥー教とイスラム教の開祖が選ばれない理由とかなんとか。
ソクラテス氏(紀元前469年頃 - 紀元前399年)
誰もが知っている大哲学者で「無知の知」で知られる人ですが、ソクラテス氏までは、本人の著作も何も残っておらず、周囲の人間や弟子の作品の中で伝えられることから推察することしかできないので、ここまでが哲学の初期段階と言われています。ソクラテス氏の弟子であるクセノポン氏やプラトン氏からは出版されている具体的な作品が残って行くので、研究における哲学が具体的に始まって行きます。技術的には作品を残すことが可能だった時代にソクラテス氏が作品を残さなかった理由としては「過去の自分の言葉に縛られるのを嫌ったから」ということもあるようです・・・つまり思想は変化するものであると捉えていたのかもしれませんね。彼自身は有神論者で、プラトンの「ソクラテスの弁明」によると、ある日お弟子さんが巫女さんに「ソクラテス以上の賢者がいるか?」と問うた所、「ソクラテス以上の賢者は居ない」と答えられた事が発端となって、その答えへの懐疑の旅の果てに「無知の知」へと辿り着き、どんな賢者よりも「無知の知」という知識を有している分、知識量の勝る自分の方が賢いというのは真であり、神の信託は正しかったという結論に辿り着いたのだとか。問答というスタイルを得意として、当時の賢者や有力者のプライドを挫きまくった為に、ゴシップのや風評被害を受け、神を敬愛してやまない彼が、神を冒涜した罪で裁判にかけられ有罪となってしまいます。脱獄もできる環境にありながらも、最後の問答を終えると、自ら毒を煽り人生に幕を下しました。この顛末はプラトンの著書にも詳しく記述されているので、興味を持たれた方は読んでみて下さい。「ソクラテスの弁明 クリトーン パイドーン」だったかな。
次回は、またちょっと時代を前に戻して、初期の自然科学史について書きます・・多分。
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