2018年10月12日 本日の鹿児島県北西部は快晴・・だけど寒い・・まるで冬。
とくにネタもないので、今日は、私の好きな人物の一人である、シュタイナーについて書いてみます。
ルドルフ・シュタイナー
え?誰?っていう人も多いでしょう。彼は、オーストリアやドイツで活躍した哲学者であり、教育者であり、神秘思想家です。私的に一言で彼を表現するなら「天才オカルト思想家」でしょうか。時代的にはアドルフ・ヒトラーと同時代の人です。「ムー」読者の若かりし頃の私は避けて通れなかった人です。アカシックレコードという言葉を創った人としても有名。
オカルトとは
元々は、「神秘的な事」や「超自然的な事象」・・・簡単に言えば、現代の知識では説明のできない事象をオカルトと呼びましたが、時代の流れの中で、「主流でない反対勢力」をオカルトと揶揄するような事が重なり、この言葉自体のイメージは決して良くはないですね。ともかく、シュタイナーはオカルティズム思想の第一人者と言っても過言ではないでしょう。
霊能者
シュタイナーという人は伝わる所によると7歳の頃から霊の存在を認知していて、透視能力も有していたそうです。それを信じるかと言われると、私個人は「本人には見えていたんだろう」とは思います。つまり、同じ場所にいても私には見えなかったに違いないですが、「彼の世界として認める」という立場です。「そんなことある訳ないよ」という事は簡単ですが、私は「そういう事があったら面白い」と思うし「自分もそういう能力が欲しい」と考えるタイプの人間なので話はいっぱい聴きたいのです・・・ただし、怖くない話なら。
そんなシュタイナーの考え方は
とにかく、視点が非常に多角的です。多分、ナーガールジュナの仏教観の極意でもあると私が勝手に解釈している「どっちでもいいし、なんだっていい」という境地から繰り出されるような不思議な感覚の考え方です。例えば、医学に関しても、物理的、精神的、環境的な側面のみならず、因果や業のような要素まで含めて論理を展開しています。彼はホメオパシーの考え方も自身の医学の中に取り入れていて、シュタイナー教育の関係者にはホメオパシーの実践者も多いのだとか。
シュタイナーが目指したこと
シュタイナーが彼自身の活動の中で目指したのは「主体的人間の創造」だろうと感じます。そして、彼が著書や活動の中で説いた霊や神の思想というのは日本人には馴染の深い「八百万の神」的思想のように感じていて、彼は、万物を慈しむという精神的な教育によって人格形成を行い、より親和的な意思決定を行える人格を創造して行くことを実現したかったのではないだろうかと感じます。
雑感
こうして書いてくると、私自身がシュタイナーの心棒者のように思われるのかもしれませんが、あくまでも、彼の考え方が面白いと思っている一人にすぎません。私は、思想的には思考を形成する電気的繋がりは死後も空間を浮遊している可能性はあると考えていますし、体験的にもスピリチュアルな体験は多少はありますので、自我は素粒子に宿るとも思っているし、霊の存在はあると考えています。しかし、それらを統べるような神のような存在は信じていません。もちろん、全宇宙のシステムそのものを神と定義するのなら、それはそれで同意しますけどね。皆様は、霊や神、どう捉えていますでしょうか。秋の夜長に、生命の神秘の考察のひととき、いかがでしょうか。
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お時間ありましたら読んで頂けるととても喜びます。
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ルドルフ・シュタイナー
え?誰?っていう人も多いでしょう。彼は、オーストリアやドイツで活躍した哲学者であり、教育者であり、神秘思想家です。私的に一言で彼を表現するなら「天才オカルト思想家」でしょうか。時代的にはアドルフ・ヒトラーと同時代の人です。「ムー」読者の若かりし頃の私は避けて通れなかった人です。アカシックレコードという言葉を創った人としても有名。
オカルトとは
元々は、「神秘的な事」や「超自然的な事象」・・・簡単に言えば、現代の知識では説明のできない事象をオカルトと呼びましたが、時代の流れの中で、「主流でない反対勢力」をオカルトと揶揄するような事が重なり、この言葉自体のイメージは決して良くはないですね。ともかく、シュタイナーはオカルティズム思想の第一人者と言っても過言ではないでしょう。
霊能者
シュタイナーという人は伝わる所によると7歳の頃から霊の存在を認知していて、透視能力も有していたそうです。それを信じるかと言われると、私個人は「本人には見えていたんだろう」とは思います。つまり、同じ場所にいても私には見えなかったに違いないですが、「彼の世界として認める」という立場です。「そんなことある訳ないよ」という事は簡単ですが、私は「そういう事があったら面白い」と思うし「自分もそういう能力が欲しい」と考えるタイプの人間なので話はいっぱい聴きたいのです・・・ただし、怖くない話なら。
そんなシュタイナーの考え方は
とにかく、視点が非常に多角的です。多分、ナーガールジュナの仏教観の極意でもあると私が勝手に解釈している「どっちでもいいし、なんだっていい」という境地から繰り出されるような不思議な感覚の考え方です。例えば、医学に関しても、物理的、精神的、環境的な側面のみならず、因果や業のような要素まで含めて論理を展開しています。彼はホメオパシーの考え方も自身の医学の中に取り入れていて、シュタイナー教育の関係者にはホメオパシーの実践者も多いのだとか。
シュタイナーが目指したこと
シュタイナーが彼自身の活動の中で目指したのは「主体的人間の創造」だろうと感じます。そして、彼が著書や活動の中で説いた霊や神の思想というのは日本人には馴染の深い「八百万の神」的思想のように感じていて、彼は、万物を慈しむという精神的な教育によって人格形成を行い、より親和的な意思決定を行える人格を創造して行くことを実現したかったのではないだろうかと感じます。
雑感
こうして書いてくると、私自身がシュタイナーの心棒者のように思われるのかもしれませんが、あくまでも、彼の考え方が面白いと思っている一人にすぎません。私は、思想的には思考を形成する電気的繋がりは死後も空間を浮遊している可能性はあると考えていますし、体験的にもスピリチュアルな体験は多少はありますので、自我は素粒子に宿るとも思っているし、霊の存在はあると考えています。しかし、それらを統べるような神のような存在は信じていません。もちろん、全宇宙のシステムそのものを神と定義するのなら、それはそれで同意しますけどね。皆様は、霊や神、どう捉えていますでしょうか。秋の夜長に、生命の神秘の考察のひととき、いかがでしょうか。
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