2018年10月5日 本日の鹿児島県北西部は曇り時々雨、時折強風。

夕方より風が強くなっていますが、台風の影響は少なそうでホッとしています。さて、本日は、「たがしゅうブログ」にて東京での哲学カフェの報告がされていたので、良い機会なので私も「幸せ」について考えてみた・・・そんなお話です。
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「幸せ」ってなんだろう

「あなたにとって幸せとはなんですか?」と問われた時、みなさんは何を考えるでしょうか。私がパッと思いつく事としては「病気の不安がなくて、毎日音楽ができて、漫画が読めて、映画が観れて、アニメが観れて、行きたい場所に行けて、やりたいアクティビティが全てできて、知っている全ての人がご機嫌で、皆が人生を楽しんでいると実感できる・・・そんな状態」という所でしょうか。これらが思い浮かぶという事はつまり、私は、これらが十分できていないという実感があるという裏返しでもあるのかもしれません。

では、私は不幸なのか?
私の実感する毎日は、極めて「幸福」に満ちています。病気の不安もあるし、音楽だってやりたいレベルからは遠い場所に居るし、漫画も映画もアニメも全ては視聴できないし、旅行だってままならないし、釣りもキャンプも中々思うようには行けてないし、知っている人には死にたがっている人もいるし、社会を見回しても不幸な情報で溢れかえっています。なのに、何故、私は「幸福」に満ち溢れているのでしょうか?単なる勘違いでしょうか?思い過ごしでしょうか?

結局の所

幸福について考える時、具体的な事例について考えがちですが、結局、自分の心の奥底を丁寧になぞっていけば、「命さえあれば、生きてさえいれば、それだけで幸せだよね」という言葉に行き着きます。娯楽や物質的充足は本質的には幸せには関係ないという所に行き着くのですよね。大好きな人達と大好きを交換し合う毎日こそが、誰もが望んでいる「幸せ」であって、その為に、全ての娯楽も物質的充足も存在しているのだと感じます。命さえあれば、大好きな人に大好きと言える。だから、「生きていることこそが幸せ」なのだと。

リア充はそれで納得できるだろうけど
と思うそこのあなた。確かに、それも一理あるんですよ。どうやったって他人を好きになれない人や、自分自身を好きになれない人が存在することは私も知っています。そういう人を「考え過ぎだ」とか、「病気だ」とかいうレッテルを貼ってやり過ごそうとしている風潮は好きではありません。物質の傍には常に目に見えない暗黒物質があるように、ポジティブに対するネガティブというのもバランスの上に成り立っているのではないかと考える時もあるのですよね。明らかに有益な事柄に対しても必ずアンチが発生するというのはそれを示しているのではないかと・・・判りませんけどね。とにかく、「自分は不幸だ」としか考えられない人は、その考えを突き詰めていくしかないと思います。辿り着く先が悲惨だとしても、この世界に無駄な事は一つもないと思うのですよね。ただ、もしも、「幸せだと思える人になりたい」と少しでも思うのだとしたら、それは、とても簡単な事です。嘘でも良いからノートにポジティブな言葉を書きなぐりましょう、ポジティブな自分になるまで何日でも何年でも。ホメオスタシスが働いて、思考がポジティブへと変換して行きます。試すか試さないかはあなた次第ですよ。

雑感
やはり、こういう抽象的な話題はとっ散らかってしまいますね。アドラーは幸せとは「貢献感」だと言ったそうです。つまり、相手なくして幸福は無いという事だと思うのですが、私は、幸福とは「勘違い」だと思っています・・色々書きましたが結局私の結論はコレです。人間の脳なんて全部勘違いだと思うのですよね。だったら楽しい方に勘違いしたい・・だから「生きているだけで丸儲け」だと一生勘違いして生きて行く!ただそれだけなんです。楽しいと思えるように、ポジティブにポジティブに勘違いして生きて行く、時に自己洗脳をかけてでもです。

おもしろき こともなきよを おもしろく

皆様にとって幸せとはどういうものでしょうか?家族のだんらんの話題にどうぞ。

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糖尿病性足壊疽の切断を回避した証明写真(グロいです)

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