2018年10月2日 本日の鹿児島県北西部、午前中現在は曇り。ちょっと肌寒い。


今日は仕事が休みなので、早い時間ですが、今日のブログをアップしてみましょう。夜は書きません。

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「存在と時間」
読破するのに2週間かかりました。哲学という学問の性質上、こういう風に隙がない考察を巡らせないといけないのでしょうね。というか、日本語訳が難解過ぎるよ。割と哲学書は読み慣れているつもりだったのですが、辞書を引き、ネットと調べ、まぢ疲れました。合っているかどうかはさておき、私なりに彼が伝えたかったのであろう内容を書いておきましょう。


私たちは放られた存在

私達は時間性の中にポーンと放られた存在で、ただ、そこに在るだけの状態で存在している、目的も役割も何もない、「ただ在るだけ」なのだ。これを「現存在」と呼んでいる。

時間性
ハイデガーの言う時間性とは、過去→現在→未来という一つの流れ。生→死という個人の時間ではなく、社会、民族、国家、家族、自然、等々の様々な要素を巻き込んだ複合的な時間の流れの事で、私達はその中に、放られて「現存在」でいる状態。

確実な事

そんな状態の私達が未来について唯一認識できる確実な事柄は、「私たちは必ず死ぬ」という事柄だけであって、それ以外の未来は、いかなる未来も不確かで未確定である。故に、人間とは「死へ向かう存在なのだ」と結論している。

多くの現存在
多くの現存在は、その「死へ向かう存在」という現実を直視できない。故に、無駄話をし、他人の噂話に時間を費やし、集団を構築し、「決断をしないという決断」を選びながら死への不安を忘却しようと試みる。不安は死の現実を知らせてくれているサインであるにも関わらず、それを無視しようとするのである。

存在者

ハイデガーは言う「我々は決断する者になるべきだ」と。そして、死を直視し、未来を予測し、今あるべき姿を自身の頭で考え行動する者を「存在者」と呼んだ。

では何を決断するべきか

それについては何も語られないし、その決断の先に、人類の未来がどうあるべきかについても語られない。読んだ者一人一人が単なる現存在から脱却して存在者となって行き、存在者の夢見る未来が、新しい未来を創って行くということなのだろう。敢えて言うなら「決断する者になる決断をするべきだ」でしょうか。

雑感

実は、この本、20年ほど前に一度読みかけて挫折した本。多分、サルトルとかを読んだ後だと読み易いかも・・・?というか、西洋哲学の日本語訳はどうしてこんなにも難解なのか。学者さんの訳でなくて、文学者さんとか脚本家さんとかの訳で読んでみたい。原書を読めないので何とも言えませんが、多分もっと簡単な表現だと思うのですけどね。古典の哲学は「造語」も多いので訳が難しかったんだろうなぁとは思うのですけど。で、内容についてですが、一言でこの本のメッセージを言うなら「主体的人間になれ!」という事のようです。「過去に縛られず、自分で未来を予測し、最も最適な現在の自分を自分で決定しろ!」というメッセージ、これは、昨年、旧来の医療を捨て、糖質制限と湿潤療法を選択した自分にも重なりますし、母の在宅看護を選択した我々家族の選択にも重なりました。私は、「存在者」として自分の人生をちゃんと生きていると実感できました。これからも情報のアンテナを張り巡らせて、楽しい人生が送れるように日々決断して行きたいと思います。ハイデガーさんありがとう・・色々考え過ぎなんて言ってごめんなさい。そして、哲学書は・・・しばらく読まないw
さぁ秋の始まりです、皆様も「哲学の秋」などいかがでしょうか。

今回は恐れ多くも、巨匠の哲学書の書評など書いてしまいました。
もしかすると、「この本でハイデガーはそんな事言ってないよ!」という方も居るかもしれませんが、そこは素人哲学愛好者の戯言と思ってご容赦下さいませませm(__)m

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当ブログは ↓ の内容を知って貰いたく書いております。

糖尿病性足壊疽の切断を回避した証明写真(グロいです)

お時間ありましたら読んで頂けるととても喜びます。
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