2018年9月17日 本日の鹿児島県北西部は快晴・・・仕事の日は雨でも良いのに。

生歌の余韻がある内に、半崎美子さんの曲の魅力について書いてみたいと思います。

私がハンザキストになるまで
導入
前記事でも書いた通り、私が半崎美子という存在を認識したのは2017年9月29日の事でした。この日に三曲程聞いた記憶があります。「サクラ~卒業できなかった君へ~」「お弁当箱の歌」「ふたりの砂時計」だったと思います。印象としては、「なかなか魅力的な声の人だなぁ」という感じで、そのまま暫くの時が流れていきます。

転機
2017年11月2日、旧車きっかけで再び半崎さんを思い出すことに、youtubeで楽曲だけでなく、特集された番組の動画を結構みました。苦労されたんだなぁ・・とともに、私が歌を諦めた18年を諦めず歌ってこられた彼女がとても羨ましかった、そして、眩しかった。そして何より、知人の変化をみて、これほどまでにこの人を引き付ける彼女の魅力とは何だろうと感じて、興味を持たざるを得ませんでした。ただ、この頃は私もまだ左足壊疽の回復途上にあったので、動き回れず、「興味を持った」という地点で止まらざるを得ませんでした。でも、この時点でめちゃめちゃ会いたかった。

第一宇宙速度を突破した日
2018年4月16日に朗報が届きます「こんばんはー 別件ですが、今年は鹿児島のどこかのイオンモールに半崎さん来るはずです。生歌を是非一度ご賞味下さい(原文まま)」。左足の切断も完全に回避し、仕事も復活したタイミングでした。これはもう「会うしかない」そんな感覚。ライブに備えて、買える楽曲を全てamazonで買ったのはこの日でした。

第二宇宙速度への加速
2018年5月15日、NHKうたこんに出演した半崎さんを母と一緒に観ました。「素敵な声の人だねぇ」と母。こんな曲もあるよぉと何曲か聴かせる私。素敵な時間が流れました。「お弁当箱の歌」が母のお気に入りに。

そして私の人生へとめり込む
2018年5月31日 末期の肝臓癌と母が宣告され、闘病開始。緩和ケアとなり在宅看護となった2018年6月22日24時、オムツ交換を終えた後「あの歌がききたいねぇ」と母。何かと聞くと「あの可愛い声の女の子の」と言うので「お弁当箱の歌」を聴かせると気持ちよさそうに眠りました。それからの一週間は私一人で看病の時は「お弁当箱の歌」「感謝の根」を聞かせたり、自分で歌ったりしました。その他童謡などもかけましたが半崎さんの声がお気に入りらしく声が出せなくなってからもジェスチャーでリクエストされました。心肺停止となる一時間前にもヘッドフォンで聴かせたし、心配停止を訪問看護師さんが確定した後にも小声で歌った「感謝の根」は私の人生と切り離せない楽曲となったとともに、母の人生を最後に彩ってくれた楽曲として、私の人生にめり込んだのでした。きっと母も沢山の「ありがとう」に送られて悪い気はしなかったはず。私が死ぬときもこの曲でおくって欲しい。・・・そういえば半崎さんの歌うアメイジンググレイスも母にリクエストされたなぁ。
ちなみに私は「ふたりの砂時計」が一番好きなんですけどね。

雑感
私の場合は、自分の足の事があったりで、本当に少しずつ少しずつ半崎美子さんに近寄っていった感があります。生歌から出会う人は又違う感動があるでしょうね。鹿児島でのライブ後の物販の長蛇の列・・凄かった。それでも、このアーティストの最大の魅力はその人間性にあるのでしょう。イオンモール鹿児島でもリハーサルからずっと泣いて感謝しておられたし、一人一人の目を見て、その想いの全てを受け止める姿はとても素敵だった。「泣き歌の~」と形容されるけど、半崎美子という人柄が歌う場所は「みんなが泣いても良い場所」へと時空が歪む。そして誰もが素直になる・・・つまり彼女は「空間の魔術師」なのだ、と思った。半崎美子というアーティストがおこす波紋の届く場所に誰もが居たくなる、そんな生歌を聴きに是非足を運んでほしいと思います。あなたの街へ来るときは是非、仕事を休んでも聴きに行って下さい。彼女の楽曲は彼女の物語だけを奏でるのでなく、それを通じて繋がる何千何万という人々の人生と響き合っている・・・その音が見えた時、北斗神拳で言う最終奥義、「無想転生」を見るのです。??何を書いているんだ俺は・・・・まぁそんだけ凄いってことです。
次回に半崎さんについて書く時は、ライブに参加できた時にしようと思います。今回までは、余韻に浸らせて下さいませ。今日は敬老の日。近所のおじいさんやおばあさんにも優しい言葉をかけてあげましょうね。でわ、素敵な敬老の日をお過ごしください。