パソコンインストラクター養成科(2002年6月) からの続きです。
「鹿児島教室をお任せする事はできませんか?」と打診があったのは、そのパソコンスクールに採用されてから18カ月目の事でした。
葛藤
パソコン講師の仕事はやりがいもあるし、楽しい、しかし、生涯の仕事とするには心もとない。私の返答がNOならば、鹿児島から事業撤退する方針だと聞いて、しばらく返事を保留しました。悩みに悩みましたが、私は「NO」という返答をしました。それから二カ月後、事業撤退が完了し、我が思い出のパソコンスクールは鹿児島から消失したのでした。お世話になった師匠とは今でも交流があり、刺激を貰っていますが、時々その時の事を言われますと、ほろ苦い心境になりますね。
就職活動
一か月程自由な時間を楽しんだ後、新たな仕事を探し始めました。パソコン講師ではなく、その知識を生かした別の仕事を探しました。プログラマよりは人と触れ合う仕事がしたいと思って、IT系の営業職を探していると、某外資系PCブランドの求人が目に留まりました。何やら、家電量販店内でアンテナショップを運営するらしく、そのショップが鹿児島にもできるとの事でスタッフを募集している様でした。
面接
直ぐにネットから応募して返事を待つこと二日、面接日時の連絡が有りました。応募から5日目には面接でした。鹿児島中央駅のケンタッキーにて面接です。これまでの経歴や営業経験の有無やコンピュータの知識などを聞き取りされながら一時間程やり取りが行われた後、こう言われました「普通なら一旦社に戻って後日の返答となるのでしょうけど、他に行かれると困りますので「採用確定」とこの場で申しておきます。一週間以内に本社より研修スケジュールの書類と研修書類、スタッフウェア等が届きますので、届き次第、オンラインの研修を始められて下さい。OJTの開始日は私の来鹿のスケジュールなどを調整してからご連絡致しますが、概ね10日程と考えて下さい。時給についてはオンライン研修から支払われますので、書類が届きましたら速やかに記入と返送をお願いしますね。」
その後、暫く世間話などした後、中央駅を後にして家族とささやかな就職パーティーを開いたのでした。
研修~OJT
程なくして、書類が届き、名刺も届き、気が引き締まりました。健康診断などの書類も取得して返送し、オンライン研修も始まりました、最も印象的だったのは、某外資PCブランドの創立者の自伝本が含まれていた事でした。そして、私もこのイズムにどっぷりとハマってゆく事になります。それにしても、このスピーディさとシステムの合理的構成には驚くばかりでした。世界で急成長を遂げるためにはこれほどまでにシステム化された研修システムが必要だということを知り、驚愕するばかりでした。現場でのOJTに入っても、全てのマニュアルが完璧だったので何も不安に感じることがありませんでした。まさにスタッフが感じる「感動体験」こそが、このPCブランドが掲げる「カスタマーエクスペリエンス」そのものである事に気づかされ、自分以外に関わる全ての人をお客様として考えるという思考は、昔読んだドラッカーマネジメントを地で行く考え方だという事に気付いた時にまた、体の震える想いだったのでした。
あっという間の二年
この仕事はとても楽しかった。このブランドを目がけて来るお客様は総じてIT好きで詳しい人ばかりだったので販売に結び付かなくても楽しく、新しい情報や視点等、お客様から沢山のギフトを頂きました。だから、私も全力でギフトを返したつもりではいますが、満足して頂けていたのでしょうか。また、近くに某有名私立学校があり、ここのIT好きの子ども達との交流もとても楽しかった。そして「頭がいい」少年たちの凄さを肌で感じた二年でもありました。とある子は私があげた「二分岐探索アルゴリズム」の参考書を読み解き、二カ月後の文化祭でそれを応用したゲームを作成して展示するという非凡さを発揮していました。何人かは人工知能に興味深々でしたが、今頃、トップの研究者になっているかもしれません。鹿児島からの営業所撤退の際には見送りにまで来てくれた彼ら、「IT周辺に居ればいつかは会えるよ、だからその道のトップになりなさいよ、会いに行くから」と言った約束はいつか果たしたいな。面白いお客様も沢山遭遇したので、機会があればその辺りのネタも書きたいですね。
そんなこんなで
この職も営業所の鹿児島からの撤退という理由で離職する事になりました。中国の大連でカスタマーサポートとして働く提案は受けたのですが、自分の病気の事や後期高齢を目前にした親の事を考えると海外勤務は選べませんでしたね。なので、この仕事を終えた後は、起業という選択をしたのでした。
この続きは、また、気が向いたら書きましょう。
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お時間ありましたら読んで頂けるととても喜びます。
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「鹿児島教室をお任せする事はできませんか?」と打診があったのは、そのパソコンスクールに採用されてから18カ月目の事でした。
葛藤
パソコン講師の仕事はやりがいもあるし、楽しい、しかし、生涯の仕事とするには心もとない。私の返答がNOならば、鹿児島から事業撤退する方針だと聞いて、しばらく返事を保留しました。悩みに悩みましたが、私は「NO」という返答をしました。それから二カ月後、事業撤退が完了し、我が思い出のパソコンスクールは鹿児島から消失したのでした。お世話になった師匠とは今でも交流があり、刺激を貰っていますが、時々その時の事を言われますと、ほろ苦い心境になりますね。
就職活動
一か月程自由な時間を楽しんだ後、新たな仕事を探し始めました。パソコン講師ではなく、その知識を生かした別の仕事を探しました。プログラマよりは人と触れ合う仕事がしたいと思って、IT系の営業職を探していると、某外資系PCブランドの求人が目に留まりました。何やら、家電量販店内でアンテナショップを運営するらしく、そのショップが鹿児島にもできるとの事でスタッフを募集している様でした。
面接
直ぐにネットから応募して返事を待つこと二日、面接日時の連絡が有りました。応募から5日目には面接でした。鹿児島中央駅のケンタッキーにて面接です。これまでの経歴や営業経験の有無やコンピュータの知識などを聞き取りされながら一時間程やり取りが行われた後、こう言われました「普通なら一旦社に戻って後日の返答となるのでしょうけど、他に行かれると困りますので「採用確定」とこの場で申しておきます。一週間以内に本社より研修スケジュールの書類と研修書類、スタッフウェア等が届きますので、届き次第、オンラインの研修を始められて下さい。OJTの開始日は私の来鹿のスケジュールなどを調整してからご連絡致しますが、概ね10日程と考えて下さい。時給についてはオンライン研修から支払われますので、書類が届きましたら速やかに記入と返送をお願いしますね。」
その後、暫く世間話などした後、中央駅を後にして家族とささやかな就職パーティーを開いたのでした。
研修~OJT
程なくして、書類が届き、名刺も届き、気が引き締まりました。健康診断などの書類も取得して返送し、オンライン研修も始まりました、最も印象的だったのは、某外資PCブランドの創立者の自伝本が含まれていた事でした。そして、私もこのイズムにどっぷりとハマってゆく事になります。それにしても、このスピーディさとシステムの合理的構成には驚くばかりでした。世界で急成長を遂げるためにはこれほどまでにシステム化された研修システムが必要だということを知り、驚愕するばかりでした。現場でのOJTに入っても、全てのマニュアルが完璧だったので何も不安に感じることがありませんでした。まさにスタッフが感じる「感動体験」こそが、このPCブランドが掲げる「カスタマーエクスペリエンス」そのものである事に気づかされ、自分以外に関わる全ての人をお客様として考えるという思考は、昔読んだドラッカーマネジメントを地で行く考え方だという事に気付いた時にまた、体の震える想いだったのでした。
あっという間の二年
この仕事はとても楽しかった。このブランドを目がけて来るお客様は総じてIT好きで詳しい人ばかりだったので販売に結び付かなくても楽しく、新しい情報や視点等、お客様から沢山のギフトを頂きました。だから、私も全力でギフトを返したつもりではいますが、満足して頂けていたのでしょうか。また、近くに某有名私立学校があり、ここのIT好きの子ども達との交流もとても楽しかった。そして「頭がいい」少年たちの凄さを肌で感じた二年でもありました。とある子は私があげた「二分岐探索アルゴリズム」の参考書を読み解き、二カ月後の文化祭でそれを応用したゲームを作成して展示するという非凡さを発揮していました。何人かは人工知能に興味深々でしたが、今頃、トップの研究者になっているかもしれません。鹿児島からの営業所撤退の際には見送りにまで来てくれた彼ら、「IT周辺に居ればいつかは会えるよ、だからその道のトップになりなさいよ、会いに行くから」と言った約束はいつか果たしたいな。面白いお客様も沢山遭遇したので、機会があればその辺りのネタも書きたいですね。
そんなこんなで
この職も営業所の鹿児島からの撤退という理由で離職する事になりました。中国の大連でカスタマーサポートとして働く提案は受けたのですが、自分の病気の事や後期高齢を目前にした親の事を考えると海外勤務は選べませんでしたね。なので、この仕事を終えた後は、起業という選択をしたのでした。
この続きは、また、気が向いたら書きましょう。
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