2018年6月26日 の23:00から 2018年6月27日 の3:00にかけて本当に少しづつ少しづつ弱って行きました。呼吸がだんだん少なくなりました。3:00に交代で父が起きてきたので「お父さんが起きて来たよ。おはよう。」と声をかけると、うなずいたようにも見えました。「もうだいぶ呼吸が小さくなっているから危ないかもね。変化があったら起こしてね。」と言って、私は眠りについた。
50分後、父が起こしに来ました。「息が止まっているかもしれない。」確かに、もう唇も動いていませんでした。酸素濃度を測る機械を指につけると反応がありましたので、まだ死んではいません、父と私で「ありがとう、よく頑張ったね。」と声を掛け続けました。その内、酸素濃度測定器も計測不能になり
、訪問看護師さんに連絡して来て貰い、心電図をつけて貰う頃、隣の叔母も駆けつけ、皆でエールを送りました、最初は脈がふれたりしましたが、それも直ぐに無くなり、死が確定となりました。
79歳と21日。寂しいですね。
往診の病院が8時30分からでないと死亡診断書を書きに来れないとの事で今は待機の時間の為、これを書いています。隣には母の亡骸。何か不思議な感覚ですね。大潮の日は生物が亡くなり易いという都市伝説がありますが、正に、今は大潮。母も大きな宇宙のサイクルの中であるべき場所へと還ったのでしょう、今頃かぐや姫に宜しく言っている頃でしょうか。さて、通夜と葬式の準備に入ります。「ありがとう」とちゃんと伝えられたから、母にも私にも後悔などありません。母よ!また違う世界でも家族になろう!
心から思う、あなたの息子で良かった。
50分後、父が起こしに来ました。「息が止まっているかもしれない。」確かに、もう唇も動いていませんでした。酸素濃度を測る機械を指につけると反応がありましたので、まだ死んではいません、父と私で「ありがとう、よく頑張ったね。」と声を掛け続けました。その内、酸素濃度測定器も計測不能になり
、訪問看護師さんに連絡して来て貰い、心電図をつけて貰う頃、隣の叔母も駆けつけ、皆でエールを送りました、最初は脈がふれたりしましたが、それも直ぐに無くなり、死が確定となりました。
79歳と21日。寂しいですね。
往診の病院が8時30分からでないと死亡診断書を書きに来れないとの事で今は待機の時間の為、これを書いています。隣には母の亡骸。何か不思議な感覚ですね。大潮の日は生物が亡くなり易いという都市伝説がありますが、正に、今は大潮。母も大きな宇宙のサイクルの中であるべき場所へと還ったのでしょう、今頃かぐや姫に宜しく言っている頃でしょうか。さて、通夜と葬式の準備に入ります。「ありがとう」とちゃんと伝えられたから、母にも私にも後悔などありません。母よ!また違う世界でも家族になろう!
心から思う、あなたの息子で良かった。
コメント
コメント一覧
お会いしたこともなかったけど、なぜか近くに感じていました。
いつの日かお月様でお会いできる日を…。
みっちゃんのお母様、大変お疲れさまでした。
ご冥福とお母様の魂がはやく穏やかに、明るく、自由になりますようお祈りいたします。
みっちゃん、そしてご家族の方々、お疲れさまでした。
お母様は、お家に帰ることができて本当に良かったと思います。
うちの場合、在宅という選択肢を選ぶことが出来なかったので。
でも、みっちゃんのお父様、お母様の『ゆるキャン』写真を病室で拝見しながら『そうか!』と思い立ち、母が亡くなる2日前までの後半1ヶ月、母と私は『院内ゆるキャン』でまったりとした時間を過ごすことができました。
みっちゃんが逝きそうな時に助けてくれた村田さんのお話、夢ではなく本当に助けてくれたと私は思います。
母も私も臨死体験をしています。
脳の一部の機能がその様にさせるという説もありますが、私は死後の世界、魂がゆく場所(還る、でしょうか)が存在していると思っています。
今日、伯母から聞いたのですが、私の父方のお爺さんが亡くなる直前に『桜の木の下でご先祖様達が大酒呑んで宴会している』と言ったそうです。
しばらくの間、喪失感に苛まれそうになるかもしれません。
私の場合ですが『あ!喜ぶからあれ買っていこう!』とか『あ!~してあげよう!』と、パッと思ったときが・・・。
でも、向こう側で、苦しい肉体から解放されて、先に逝った父やわんこ達、ご先祖様達の宴会の輪に入り、楽しく過ごしてくれるといいな、と願っています。
お忙しくなると思いますので、返信は後日で。
どうか、みっちゃん、ご家族の方々もご自愛くださいませ。
心温まるお悔やみの言葉をありがとうございます。
通夜の晩の満月は今までみたどの満月よりも明るく、まるで太陽のように光り輝いていました。母が大好きだった孫達と「おばあちゃんが喜んでるね」と言いながら、代わる代わる月を見に行きました。私達にはまだ確信には至らない次の世界ですが、やはり在ると思います。既に、火葬が終わり、母は物質としては最小単位の存在へと状態変化しましたが、通夜、告別式、自宅でのお別れ会、そして今、全てにおいて、穏やかな母らしい空気が場を支配していましたし、今もまだそれは続いています。これから先もこの母の空気を抱きしめながら、私は私の人生を全うしようと思います。
みんぽぽ様のお母さまと私の母と、とても気が合うことでしょう。今頃、かぐや姫と一緒に三人で、私達を見ながら「気楽に、がんばれ!」と言ってくれているに違いありません。寂しさも悲しさも時折込み上げますが、共に乗り越えて行きましょうね。
読んでくれている全ての方に、心より感謝致します。
全ての方が、大好きな人への「ありがとう」を言いそびれませんよう祈ります。
遠方よりの来客対応などありまして、ブログの再開は7月2日大安吉日よりとなります。宜しくお願い致します。