2018年6月25日
8:00
母が痛みをしきりに訴える。「もう直ぐ良く効く薬がくるからね」と励ますと小さくうなずく。

10:00

訪問看護師さんが到着し、いくつかチェックして病院に強い鎮痛剤の依頼をかけます。

11:16
高尾野駅へ母の兄を迎えに行く。

11:30
病院で処方されるとの事で、強い鎮痛剤を病院へ取りに行く。

12:00
鎮痛剤を持って自宅へ到着。

12:10

母が鎮痛剤を服用し、5分程で眠りにつきました。

14:50
叔母を出水駅まで送る。

15:40
訪問看護師さんより、尿が出ていないため点滴も体に入って行かない状態にあると伝えられる。

16:30
母の末の妹が訪問し、新しい着替えなどを持ってきてくれる。

17:00
母が少し覚醒し、氷を少し舐める。

18:00
母が背中が痒いと訴えるので、私と従姉妹と叔母で背中を冷たいタオルで拭き、かゆみ止めを塗る。

20:00
従姉妹と叔母が帰る

21:00
仮眠していた父が起きて来たので、交代

21:30
痛みを訴えたので鎮痛剤を飲ませたそうだ。

2018年6月26日
0:00
母は呼吸が苦しそうにしている。呼びかけには反応がある、意識はあるようです。父がもう少し見てるとのことなので、私はもう少し寝ることに。

3:00
母は呼吸がとても荒くなっている。「鎮痛剤がいる?」と問うと首を横に振ったので意識ははっきりしているようだ。「もうがんばらなくていいよ」と言うべきか「がんばって」と言うべきか迷って、結局「元気になろうね」と声を掛けた・・・「そんなの無理やで」と自分なら思うだろうなと思いながら、苦しむ母の手を握っていた。

3:33

現在は体位を少し変えた後、呼吸は少しだけ楽になったようだが、苦しいのには変わりがない様子。これだけ苦しそうなのに、鎮痛剤を拒否する心理を考えながら、とにかく母の意思表示がある内は母の主体的意思を尊重することにする。それにしても苦しそうだ。人間と言うのは死んでゆくのも大変だ。

雑感
昨晩の「ごめんね ありがとうね」という言葉が母が私へ発した最後の言葉になるだろう。彼女の人生はこの闘病まで含めてどうだったのだろうか、もしも、この自我を保った素粒子の世界があるのならいつか聞いてみたい。


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糖尿病性足壊疽の切断を回避した証明写真(グロいです)

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