2018年6月21日 今日の鹿児島県北西部は曇り時々雨後晴れ。そして 夏至
今日は昼が一年で一番長い日。そして、私にとっても長い一日だった。
予定
6/18の調整で、元々今日(6/21)鹿児島の病院から自宅へと搬送の予定でしたが、朝9時頃、主治医のT先生より電話がありました。「昨晩から呼吸のし辛い状況があり、酸素の供給量を3ℓから8ℓへ増やしている状況です。選択肢としては「リスクを押して予定通り搬送する」「搬送を中止して暫く様子を見る」だと思いますがどうされますか?」との事でした。昨日6/20に母と話した際に自宅への帰還をとても楽しみにしていましたし、意識の混濁は無く、会話もできるとの事だったので、ここはもう迷わず「リスクは承知の上で、予定通り出水へ搬送します。」と返答致しました。
対応
T先生「わかりました、でわ、受け入れ医院にも状況の変化に対応可能かどうかを確認しますね。」
私「宜しくお願いします。どちらにしても、今からそちらへ向かいますのでお昼前には着けると思います。」
T先生「できるだけ早く来て頂ければと思います」
・・・・言葉の響きは少し緊張感を帯びていて、状況は楽観視できないんだなと感じていました。
鹿児島市へ
母の妹をピックアップして病院へ着いたのは11時40分でした。正直、もしかしたら意識喪失も覚悟していたので、会話ができる状況に少し安心しました。昼食をしてから退院のつもりでしたが、暫くは食事を摂れない状況が続いているので昼食は無しにして搬送を急ぐ事になりました。そして、民間救急車での搬送にT先生も同行して下さることになり、とてもホッとしました。退院の手続きを済ませ、T先生から母の最新の情報の説明を受けた後、搬送となりました。
我が町へ
父は民間救急車にT先生と乗って貰い、私は叔母を送った後、我が町へ向かいました。叔母から連絡を受けた他の母の兄弟たちからの電話の対応をしつつ、酸素量の変更があったので、在宅酸素の機器増設の為の電話対応をしつつ、我が町に到着したのは15時でした。
診察
在宅になるとは言え、一度、受け入れ先の病院にて診察が必要なので、母は一度病院で診察を受けました。酸素設備の増設を終えてから私も病院へ向かい、新しい主治医から聞き取りなどをされて、今後の流れについて打ち合わせを行い、自宅へ母と共に到着したのは16時15分でした。
自宅にて
鹿児島へ連れて行く時は私のライプニッツ君へ母を乗せるのもかなり苦労したのですが、今回は民間救急車の方が部屋まで運んで下さいましたので楽ちんでした。隣に住む母の末の妹とその双子の妹が来てくれて母もとても嬉しそう。心配していた呼吸不全も起こすことなく一安心でした。父からT先生が「自宅へ帰れる安ど感が状況の安定につながっているかも」とおしゃっていたと聞いて、まさしくそうだろうなと感じました。
排便
17時30分頃、母の妹たちが燐家へお茶のみに行ったタイミングで母が「便が出た」と言ったので、「じゃぁオムツを換えるね」と言って、交換に取り掛かったと同時にピンポンが鳴りました。訪問看護師さん二人登場です!母以外のお年寄りのオムツ交換は慣れていても、母のは初めてで緊張していたので、かなりホッとしました。また、流石に看護師さん手際が凄い。あっという間に交換も、皮膚の状況観察も完了しました。
ご機嫌良し
母も看護師さん達の素晴らしい対応でホッしたようで、私達が四苦八苦する姿を見ずに済んだから良かったと言ってくれて、私達も安心しました。お茶のみから帰ってきた妹ともご機嫌でお話をしながら緩やかな時間が過ぎて行きました。私は、夜中の看護を担当するために、叔母と父に暫く母を預けて仮眠をとる事にして、19時過ぎに就寝しました。
23時頃
23時頃目が覚めて完全に覚醒してしまったので、担当を父と代わる事に。コーヒーを入れて、ブログを書こうとしたその時でした。「みっちゃん 便が出た」と母からのSOSです。もう、母の皮膚の状況も分かっているので手順は完璧です。結構纏まった量が出たので安心しました。夕方の排便と夜の排便を合わせると結構な量でしたので、もしかすると昨今の体調不良は便秘によるものもあるかもと思ったり思わなかったり。酸素濃度も95~98をキープしているので、今の所安全地帯だろうか。食欲が出てくれると良いのだけどな。
雑感
何はともあれ、この在宅介護では母を看取ることになるでしょう。これを書いている前方にはすやすやと眠る母が居ます。この時間が少しでも長く維持できるよう願いますが、その時がいつ来るのか。死を間近にした母を見ながら思うのは思いの外「絶望ではなかった」、でも絶景でもなかった。淡々と過ぎて行く時間の中に在るのは「今までも、そして今日からもありがとう」という気持ちと「最高の人生の卒業式をしてやるぜ」という気持ち。これは生物として最高の死に方だなと思うし、人にだけ与えられた特権のように今感じています。明日もこの景色が見れますように。
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当ブログは ↓ の内容を知って貰いたく書いております。
お時間ありましたら読んで頂けるととても喜びます。
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今日は昼が一年で一番長い日。そして、私にとっても長い一日だった。
予定
6/18の調整で、元々今日(6/21)鹿児島の病院から自宅へと搬送の予定でしたが、朝9時頃、主治医のT先生より電話がありました。「昨晩から呼吸のし辛い状況があり、酸素の供給量を3ℓから8ℓへ増やしている状況です。選択肢としては「リスクを押して予定通り搬送する」「搬送を中止して暫く様子を見る」だと思いますがどうされますか?」との事でした。昨日6/20に母と話した際に自宅への帰還をとても楽しみにしていましたし、意識の混濁は無く、会話もできるとの事だったので、ここはもう迷わず「リスクは承知の上で、予定通り出水へ搬送します。」と返答致しました。
対応
T先生「わかりました、でわ、受け入れ医院にも状況の変化に対応可能かどうかを確認しますね。」
私「宜しくお願いします。どちらにしても、今からそちらへ向かいますのでお昼前には着けると思います。」
T先生「できるだけ早く来て頂ければと思います」
・・・・言葉の響きは少し緊張感を帯びていて、状況は楽観視できないんだなと感じていました。
鹿児島市へ
母の妹をピックアップして病院へ着いたのは11時40分でした。正直、もしかしたら意識喪失も覚悟していたので、会話ができる状況に少し安心しました。昼食をしてから退院のつもりでしたが、暫くは食事を摂れない状況が続いているので昼食は無しにして搬送を急ぐ事になりました。そして、民間救急車での搬送にT先生も同行して下さることになり、とてもホッとしました。退院の手続きを済ませ、T先生から母の最新の情報の説明を受けた後、搬送となりました。
我が町へ
父は民間救急車にT先生と乗って貰い、私は叔母を送った後、我が町へ向かいました。叔母から連絡を受けた他の母の兄弟たちからの電話の対応をしつつ、酸素量の変更があったので、在宅酸素の機器増設の為の電話対応をしつつ、我が町に到着したのは15時でした。
診察
在宅になるとは言え、一度、受け入れ先の病院にて診察が必要なので、母は一度病院で診察を受けました。酸素設備の増設を終えてから私も病院へ向かい、新しい主治医から聞き取りなどをされて、今後の流れについて打ち合わせを行い、自宅へ母と共に到着したのは16時15分でした。
自宅にて
鹿児島へ連れて行く時は私のライプニッツ君へ母を乗せるのもかなり苦労したのですが、今回は民間救急車の方が部屋まで運んで下さいましたので楽ちんでした。隣に住む母の末の妹とその双子の妹が来てくれて母もとても嬉しそう。心配していた呼吸不全も起こすことなく一安心でした。父からT先生が「自宅へ帰れる安ど感が状況の安定につながっているかも」とおしゃっていたと聞いて、まさしくそうだろうなと感じました。
排便
17時30分頃、母の妹たちが燐家へお茶のみに行ったタイミングで母が「便が出た」と言ったので、「じゃぁオムツを換えるね」と言って、交換に取り掛かったと同時にピンポンが鳴りました。訪問看護師さん二人登場です!母以外のお年寄りのオムツ交換は慣れていても、母のは初めてで緊張していたので、かなりホッとしました。また、流石に看護師さん手際が凄い。あっという間に交換も、皮膚の状況観察も完了しました。
ご機嫌良し
母も看護師さん達の素晴らしい対応でホッしたようで、私達が四苦八苦する姿を見ずに済んだから良かったと言ってくれて、私達も安心しました。お茶のみから帰ってきた妹ともご機嫌でお話をしながら緩やかな時間が過ぎて行きました。私は、夜中の看護を担当するために、叔母と父に暫く母を預けて仮眠をとる事にして、19時過ぎに就寝しました。
23時頃
23時頃目が覚めて完全に覚醒してしまったので、担当を父と代わる事に。コーヒーを入れて、ブログを書こうとしたその時でした。「みっちゃん 便が出た」と母からのSOSです。もう、母の皮膚の状況も分かっているので手順は完璧です。結構纏まった量が出たので安心しました。夕方の排便と夜の排便を合わせると結構な量でしたので、もしかすると昨今の体調不良は便秘によるものもあるかもと思ったり思わなかったり。酸素濃度も95~98をキープしているので、今の所安全地帯だろうか。食欲が出てくれると良いのだけどな。
雑感
何はともあれ、この在宅介護では母を看取ることになるでしょう。これを書いている前方にはすやすやと眠る母が居ます。この時間が少しでも長く維持できるよう願いますが、その時がいつ来るのか。死を間近にした母を見ながら思うのは思いの外「絶望ではなかった」、でも絶景でもなかった。淡々と過ぎて行く時間の中に在るのは「今までも、そして今日からもありがとう」という気持ちと「最高の人生の卒業式をしてやるぜ」という気持ち。これは生物として最高の死に方だなと思うし、人にだけ与えられた特権のように今感じています。明日もこの景色が見れますように。
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